Sunday, September 27, 2009

ひょんなことから誘われて行ったクラブで(1)

 和男は芝沢が停めたタクシーの運転手に助手席の扉を開けるように目と手で促し、助手席に芝沢が乗り込んだのを見届けてから、開いた後ろのドアから後部座席に乗り込んだ。
 芝沢は運転手に自分の言われた通りに道路を走ってくれと言い、彼が和男を連れて行く積もりのクラブのある方向で運転手に車を出させた。そのタクシーの会社から察して、彼が和男を連れて行こうとしている場所を運ちゃんが知らないだろうと踏んでのことだったようだ。
 事実、その店の名前を試しに告げた時運ちゃんは知らない様子だった。
 タクシーは十五分くらい走ってある交差点の脇の路肩に寄せて、芝沢の指示通りに停められた。最初先に入った店のある町から少し田舎の田畑の多い区域を通過して、隣の市に入って、五分くらい走った繁華街の真ん中くらいにその交差点はあった。二人はそのタクシーから降りて、ドア越しに芝沢が一万円札を一枚運ちゃんに渡すと、彼は「釣りは要らないから」と言って、「有難う御座います」と彼に告げた運ちゃんを後に和男を連れて歩いて行った。
 二人は交差点から南の方に向かって進む道路を少し歩いて、すぐ最初にぶつかる細い路地に右折した。そこで地味な色彩の看板が立てかけてある、路地に入って二三棟くらいお奥のある雑居ビルを裏口から入ると、中にすぐあったエレベーターで芝沢の誘導によって乗った。エレベーターは路地に置かれてあった立て看板と同じ店名の階で降りた。六階だった。
 エレベーターを降りると、すぐに店内だった。扉はなく、エレベーターを降りたところに店内が剥き出しになっていた。
 やや奥の席についていたクラブのママらしき中年女性が
 「あら、社長さん」
と言って、芝沢を店内の席に誘導した。
 「今日はお連れさんがいらっしゃるんですね」
と言って、和男を紹介して貰えるように芝沢を促した。それに応えて芝沢は
 「ご自分で事業をされていらっしゃる河合さんです。僕の大学時代の学友なんです」
と和男の方に向き直り、ママにそう言った。和男は握手を求めてきたママと握手をして
 「急に芝沢さんにお誘い頂きましたもので」
と一言添えた。クラブのママを紹介しようと、芝沢が
 「この店のオーナーの幸恵さんです」
と和男にそう言った。握手をし終えてから、幸恵は
 「今後もどうぞご贔屓に」
と言った。芝沢が
 「いつもの奴を」
と言うと、幸恵の隣に控えていた少し幸恵より若い感じのホステスに幸恵は
「きょうこちゃん、いつもの運んできて差し上げて」
と指示した。幸恵は年の頃三十八歳くらいで、それよりその「きょうこ」と呼ばれる女性は四五歳くらい若かった。幸恵に誘導されて席についた和男に幸恵は
 「今日は新人の茜ちゃんを先生のお隣に座らせて頂きます」
と言った。茜と呼ばれる女性は、更に三四歳くらい若く、菊池真理より二三歳くらい年長のように見えたが、女性というものも実年齢よりも老けて見える若い女性もいるし、逆に実年齢よりも若く見える人もいるので、一瞥だけで判断出来るものではないが、今日は芝沢の奢りなので、そういうことをいきなり質問することは憚られるので、話の成り行きに任せようと和男は思った。そう考えていると芝沢は「きょうこ」に指示したまま芝沢の隣に座って、「きょうこ」が運んできたジンのボトルからジンをグラスに注ぎ、氷を入れたデッキャンタから氷を二つ三つそこに入れて、掻き回した。手馴れた手付きで、既に芝沢の好みの飲み方を熟知しているようだった。そしてそれをし終える前にそうしながら「きょうこ」を茜とは反対の、端に座らせ
「先生はどうなさいますか」
と飲み方を聞いた。和男が
「芝沢さんと同じで結構です」
と返答すると、「きょうこ」が幸恵が芝沢にしたのと同じように和男のグラスを作った。和男が「きょうこ」の方に向かって
「きょうこ ってどういう字ですか?」
と聞くと彼女は
「杏という字です」
と答えた。そして今度は奥の隣に座る茜に和男は
「茜って、草冠に西でしょう?」
と聞くと、茜は
「そうです。先生よく分かりましたね」
と言った。和男は
「だって、茜って、固有名詞だったら、その書き方が一番標準的だからね」
と言った。

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