Friday, October 30, 2009

総一郎氏と君子との競演④

 和男はもういても立ってもいられなくなった。何故なら和男が君子によって性的刺激を技と受けていて、それに未だそれくらいのことをして何も感じないくらいに老いてはいない性的感受性自体を、まるで弄ぶように君子が和男の性的興奮を夫である総一郎氏に見抜かれないように必死で取り繕っていること自体を見て、しかも彼自身にはっきりと分かるように目配せしながら、楽しんでいる、その愉悦の表情には、メス豚と呼ぶに相応しいのに、かと言ってそれを拒絶するにはあまりにも惜しい性的魅力を湛えていたからである。
 和男は彼の脛とか腿を総一郎に悟られないくらいに軽妙さで、しかししっかりと性的刺激を和男のズボンの下にひっそりと仕舞い込まれたペニスに直撃していることをその目でしかと確かめている時、ひょっとしたら、彼女のクリトリスもじんわりと温まり、勃起しながら、その実決してそれを直には触らないで想念だけで和男の総一郎に見つからないようにしなればいけないという健気な姿を見ながらでも一回くらいはオーガズムへと至っているのではないかとさえ想像した(接さず漏らすである。ひょっとしたらこういう時のためにバルトリン腺液が滴ることを未然に想定してソファを濡らさないために毛糸のパンティーを履いているのかも知れない)。それくらいこの君子という女性の物腰と男性自身に対するあしらい方は堂に入っていたのである。和男がこの女性を最初に見た時に感じた印象はやはり間違いではなかった。
 和男は総一郎の方に向いて
「また小便がしたくなりました」
と笑顔でそう言って
「トイレへ行ってらっしゃい」
と言う君子(その言い方には含みがある、まるでトイレで一回きちんと抜いて来なさいとでも言いたげな口調である)を尻目に
「どんどん遣って下さいよ」
と酒をもっと飲めという口調でそう言う総一郎の脇を抜けてトイレへ行った。和男はトイレに入ってズボンを下ろし、既に怒張しきった彼のペニスを君子が自分のものを口に含んで彼女のパンティーを片手でずり下ろし、もう片方の手では和男のペニスの付け根にあるホーデン(睾丸)を摩りながら和男の勃起をより持続させるために時々しゃぶる唇を離しては、また口に銜える射精をコントロールする姿を想像して、急いでマスターベーションをした。
 あまり時間をかけ過ぎていると、怪しまれるかも知れないし、戻していると思われでもしても失礼なので、なるたけ若い頃の早漏気味のことを想起して、まるで高校生が年上の女性を想像して「せんずり」を掻く要領で射精した。彼は自分のペニスを扱くのに左手を使うので、右手でねっとりとした精子を受け止めて、それを丁寧にトイレットペーパーで拭き取って水洗で流した。
 それにしてもあの総一郎はことの全てを知っていて、自分の妻を楽しませて、しかも自分より若い妻と性的な意味では相応しい年齢の客人が困る姿を眺めて、妻が倦怠的夫婦生活から少しでも回春作用があることを喜んでいるのではないか、とさえ想像した。
 そしてそれは決して間違いではなかったのであるが、その時は未だ和男にはそこまでは了解出来なかった。
 しかし和男は自分のその時射精した精子が意外とねっとりと濃いことに安心した。俺の性的能力は結婚しても尚浮気するくらいの余裕を残している、とそう思った。そして総一郎の性的能力とはどれくらいのものかということを想像した。つまりそれによっても彼の妻に対する本質的思い遣りの意味が変わってくるからだ。
 しかしそれも和男にとってはじきに分かることであった。

Thursday, October 29, 2009

総一郎氏と君子との競演③

 和男たちは次第に君子が次々と運んでくる料理と酒のせいで大分お腹も一杯になって酔いも回ってきていた。しかし君子は「奥さんもどうですか?」と言って和男が注いだビールをニ三杯飲んだくらいで殆ど素面に近かった。
 総一郎氏は陽気に
「ここを最初に買った時は一体住み心地がいいかどうかと思っていたんですけれど、意外と住みやすいんで気に入ってもう一生住もうと家内とかねがね思っておるんですよ」
と笑いながらそう言った。
 しかし和男はもうこれ以上酒は飲めないという態度をそれでもどんどん君子が運んでくる酒を勧めるものだから、しきりに取っていた。しかし今隣に座っているのは君子だった。そして和男の持つグラスに更に日本酒とかチュウハイを注いでいる時それとなく和男の膝と腿の辺りに彼女がグラスに注ぐ右手ではない、空いている左手を持たせかけ、次第に摩るような仕草さえしたりしたのである。そのことを自らの足に感じる感触で見逃さない和男だったが、それも時折一瞬かなり明確に和男の下半身に刺激を加えるようにそうするのである。しかもその仕草があまりにも突発的に自然なものなので、総一郎氏は殆ど気にもとめていないようだった。いや意外とこういうことを平気で妻に自分が連れてきた客にさせている、そしてそれを承知で妻も楽しむ、そういう夫婦なのかも知れない、と和男は思った。
 和男は一度君子が奥の調理場兼台所に引っ込んで新たに何か川魚を調理している時に、総一郎氏が和男にもう一杯と極上の日本酒だと総一郎氏が言う酒を注いでいている時急に便意を催し、トイレに行こうとして「トイレお借りできませんか?」と聞いて、「あっちの奥だよ」と君子が立っている台所の手前の方を振り返って指差したので、そちらにソファから立ち上がって歩いていくと、何と奥の台所から君子が包丁を片手に、和男の方に振り返ってコケティッシュで意味ありげな微笑を彼に示し、一瞬だがウィンクをしたようにさえ受け取れた。明らかにあの表情と態度は和男を誘惑している風情だったのである。
 そのことは再び料理を運んできて和男の隣に座った君子が夫の総一郎がしきりに陶芸の話を和男にしている時、庭の方を一瞬夫が眺めている間に、夫には悟られないようにそれとなく再び君子が和男にウィンクをして、しかもその時和男の太腿を刺激するように摩りながら、おすねぼんさんの方へと往復させたことでも明らかだった。この女は明らかに自分のことを性的に誘っている、そう和男は確信した。しかも和男があまり君子の和男の膝と腿への刺激の仕方が巧い(それも一瞬目の前の夫の目を盗むように)ので、思わずペニスを勃起させて、明らかにそこを見つめている君子がはっきりと分かるくらいにさきほどまで縮こまってパンツの下に仕舞い込まれていたおちんちんがくくっと大きくなって、ジッパーによって閉じられているズボンを一気に窮屈な感じにしたので、内心では狼狽した。しかもあろうことか、君子はそれを察知したことを笑みで隣座っている和男に返して、しかも深い熱い溜息を和男の隣に座っていて、すぐに台所にも行けるようにしていて、和男は台所の方へ向いて、総一郎氏は台所に背を向けて座っていたので、必然的に和男の右耳に吹きかけたのだ。その瞬間和男の勃起は確定的に持続することとなった。もうこうなったなら、いっそ一度トイレにでも中座して一発抜かないと収まりがつかないものである。そうでなしにこのままずっとしていたら、尤もそれこそがこの君子の望んでいることなのかも知れなかったが、和男は総一郎と談話すること自体に無理を感じ取っていたのだ。

Tuesday, October 27, 2009

総一郎氏と君子との競演②

 二人が二十分くらい話し込んでいると、君子が一人でお盆に色々なものを載せて応接間に運んできて、ソファの前に置かれてあるテーブルの上に次々と総一郎と和男のために料理を置いていった。和男は
「あっ私も手伝いましょうか?」
気をきかせてそう言うと笑いながら君子は
「いいんですよ、そこにゆっくりとお座り下さい。そしてお召し上がり下さい」
と言って再び炊事場の方に戻って行った。総一郎が
「家内はこういうことしょっちゅうなので、慣れとるんですよ、どうぞ彼女に全て任せておいて下さい」
と言った。テーブルの上には京豆腐を使った湯豆腐や、九条ネギを合えてある鶏のスープとかとうもろこしの天麩羅(ここら辺の名物であると言われる)などがふんだんに大皿に盛り合わせてあった。こんなご馳走を他人のお宅で頂けるとは思いもよらなかった。しかしこういうことも全てことの成り行きだし、要するに出会いである。そう和男は遠慮なくこれらの持て成しを受けることにした。
「さあ、どんどん召し上がって下さい。今日は暑かったので、東京の方からいらしてお疲れでしょう」
と総一郎は君子が冷えたビールと日本酒を運んできて置くとそのビール瓶を君子がその時置いていったグラスに注ごうとしたので、すかさず和男はそのグラスを持ち注いで貰う体勢で待ち構えた。総一郎はビール瓶をグラスに傾け、こくこくと音と立てているビールを見ながら八分くらい注いだところで、今度は自分のグラスを持ったので、和男が今度は代わりにそれを注いだ。
 二人が「乾杯」と言ってビールを一口飲み干すと、奥の方から君子もこちらの方へとやってきた、今度は和男の隣に座って、和男がビールの一杯目を飲み干すとその空になったグラスにビールを注いだ。そしてそこに置かれてあった君子のためのグラスに今度か和男が彼女のためにビールを注いだ。二人は勝手に総一郎とは別箇にグラスとグラスをかちんとぶつけて乾杯をした。
 総一郎氏が
「家内はあなたのことを気に入ったみたいだね」
と言った。和男は
「冗談言わないで下さいよ」
と言った。君子は一瞬その言葉を聞いて和男の方を振り返って、にこっと笑みを浮かべた。その表情が今目の前にしている夫である総一郎の目配せによるものだったのだろうか?それとも只単に彼女自身による自発的なものだったのだろうか?兎に角その時の彼女のコケティッシュな表情が妙に和男の気持ちをざわつかせた。そして再び
「どうですか?明日また何処か参りましょう。ですから今日はここにお泊りになっていらしたら?」
と君子は再び和男にそう促した。そしてそれに続けて総一郎もまた
「そうだよ、河合さん、どうせ明日は日曜なんで仕事はオフなんでしょう?」
と言って和男がこの萱場宅に宿泊していくことを勧めた。最初そう言われた時和夫は殆ど、声にならないか細い声で「そんなお構いなく」とだけ言っていたが、あまりにもこの二人の勧め方が積極的であったために、はっきりと断りきれなかったのである。だから二度目にそう言われた時彼らの勢いに負けて
「そうですか?まあ、明日は何も今のところ予定がありませんから」
と言って、二人の積極的勧めに屈した形となった。しかし本当に翌日何か特別予定が入っているわけではなかったのである。そう和男が言うと、君子と総一郎は
「そうですよ、泊まってらっしゃい」
と言って二人で顔を見合わせた。

Monday, October 26, 2009

総一郎氏と君子との競演①

 萱場氏は和男に
「河合さんはどんな食べ物を特に召し上がられるのですか?」
と聞いた。そんなことを改めて聞かれると戸惑うくらいに和男は贅沢な食ということ自体に関心のない人生を送ってきたし、どうやらこれからもそういうリッチな気分の人生を送っていきそうにないと思われたので
「私はグルメ志向はゼロですから、一切贅沢な食材には関心がないんですよ」
と言った。するとにこやかな表情になって萱場総一郎氏は
「そうじゃないかと思っておったんですよ。だから技とそんなことをお聞きした次第ですよ。いや他意は御座いませんからお気を悪くなさらないで頂きたいのですが、私は結局そういう風に一切虚飾を取り払ったところでしか真の心の贅沢って奴はその人間に巡ってこないもんだと思っておるんですよ」
と言うと和男はすかさず
「そんな大それたことではありませんね、私の場合は、ただあまり実際にリッチな人間ではない、ただそれだけのことですよ」
と言った。すると萱場氏は
「つまり、そこからしか本当にいいものの味なんて分からんのですよ。謙遜とかそういうことでも、粗食志向ということもない、要するにリッチな食とは何かという問いを突き詰めることは魯山人のような天才に任せておけばよいのであって、つまり私らは端的に好きな時に好きなものを食べる、しかもその好きなものとは日常的に最も私らが食べるものでええんですよ」
と言った。なるほどと思ったが、しかしそれにしても昼食までよそ様のご自宅で頂くなんて京都へ来るまでは思い至らなかったし、そういう意味では恐縮する気分の和男だった。そんな和男の表情を見かねて総一郎氏は
「あまりお気に無さらんで結構ですよ、実は家内の奴はああ見えて結構あれなんです。つまり人様に色々気を遣って持て成すこと自体が好きなんですよ」
と言ったものだから和男は
「ああ見えてってどういうことですか?」
といきなり不躾にそう聞いてみた。するとげらげら笑いながら総一郎氏は
「ああ、参ったな、そうですよ、つまりね、家内は私と結構年が離れておるでしょう、ですから、そういう自分と同世代とか、自分より少し年上のあなたのような方を持て成すことで、私からは得られない自分本来の年齢に合った若さを保っておるんですよ。でもね、あなたみたいに私が連れてくるお客さんに限ってそうするんです、つまり家内は家内なりに私に気を遣っておるんですよ」
と言ってまたげらげら笑った。そんなに大声で語って、向こうで食事を用意している君子夫人に聞こえでもしないものだろうか、と和男は訝った表情でその笑い声を聞いていた。しかしその時には未だ和男にはその言葉と笑いの意味をそれほど真剣には聞かずに受け流していた。

Sunday, October 25, 2009

萱場総一郎氏との出会い(7)

 君子は女性固有のしっとりとした匂いがした。一体どんな香水を彼女はつけているのだろう、と和男は想像した。尤も彼は香水のことに詳しいわけではない。しかしあの菊池真理には真理の、茜には茜に固有の匂いがあったことだけは確かである。女性とはどうしてこういい匂いがするのだろう、と今更ながら和男はそう思った。まるで赤ん坊が母親に対して接する時に感激のようなもののようにである。しかしそうである、男性は常に女性の前では母親に接する赤ん坊のようなものではないのだろうか?
 君子は目立つ紫色のワンピースを着ていた。その色も彼女の色香そのものにいい添え物として作用していた。
 その日は確かにかなり午後も暑かった。全く10月だというのに、どうしたというのだろう、そう和男は思った。天龍寺にて加山画伯の天井画を見終わった時既に11時半は過ぎていた。だからその時は既に一時くらいにはなっていたのだ。
 総一郎氏は
「河合さん、お腹が空いてらっしゃいませんですか?」
とそう和男に尋ねた。萱場総一郎氏は君子夫人にそう言ってからすぐ
「君子、お前何か僕たちに作って用意してくれないか?」
と隣にそれまで座っていた妻を促した。和男はすかさず
「あっ、どうぞもうそんなお構いなく」
とそう言ったが彼の腹はグーと音を立てていた。そう言えばその日彼は朝新幹線に乗り込む時に東京駅のキヨスクで購入したサンドウィッチを走る電車の中で京都へ着く前に口に放り込んだだけであったことをその時思い出していた。
「分かりました。何か用意致しますわ」
と言ってそそくさに妻の君子は夫総一郎と来客である和男に何か差し出そうと台所まで奥へと引っ込んで行った。

Saturday, October 24, 2009

萱場総一郎氏との出会い(6)

 和男はこの目の前で話す君子という女性が、大分年上のこの萱場総一郎という壮年男性とどういうセックスをしているのだろう、とそう想像し始めた。下半身不随ということが性生活にどのような影響を与えているのだろう、もしあまり巧くいっていないのだとしたら、この女性の性欲に対する対応をどうしているのだろう、とそう思った。
 和男は多くはネット配信で本番のシーンも時々見ていたが、それらは端的に視聴者に対する配慮から、余計に誇張した興奮を演じているだけであり、本当にそれくらいに振舞う女性はいないのではないかと若い頃はそう思っていたが、実際はそうではない、もっと凄い女性というものはいるということは、分かっていた。それくらいの経験は和男くらいの年齢の男性はある。
 しかし一番興味深いことには、性生活に飽きてしまった男性を夫に持つ妻が異様に性的魅力を湛えていて、そのことに対していい加減うんざりしている夫が、異様に子どもを可愛がる心理が和男には理解出来る気がした。
 つまりそれはこういうことである。まず亭主元気で留守がいい、という言葉の通り、そういう風にお金だけは有り余るくらいにある有閑マダム(懐かしい言葉である)なら、いつも夫が仕事で外出中に好き放題に趣味の集いで主婦同士で楽しんでいるくらいならいいが、ひどくなるとツバメを拵えて若い性のエキスを吸収したりしている。その妻の異様なり性欲に十分性的能力的にも好奇心からも対応出来る凄腕の夫でなければ、結局そういう妻の生態に持て余し気味になり、ついには妻を食うだけ食って空き放題に遊ぶメス豚のように思うようになる。つまりそういった妻に対するある種の諦めこそが自分の息子とか娘を溺愛するようになるということはあり得る。
 この夫婦には子どもはいるのだろうか、そう和男は思った。しかしそんな立ち入ったことを他人の家に上がり込んで聞くことも憚られる。向こうから話しださなければ失礼に当たると思った。
「もうこちら京都では何処か行かれないんですか?」
と君子が聞いてきたので、和男は
「いや、明日は日曜ですが、今日の午後には新幹線で向こうに戻るつもりだったんですけれど。仕事で写真を撮れればそれでもういいと思っていたんですけれど、ついお邪魔してしまって」
と言った。すると笑みを浮かべて、萱場総一郎はあろうことか
「どうだろう、河合さん、今日はここに泊まっていかれたら?」
とそう言い出したのだ。
「いやあ、そう言われましても、ご迷惑ではないですかね?」
と和男が言うと
「何、家には子どもがおらんので、結構広過ぎると常々思っておったものだからね、なあお前」
と総一郎氏は妻の君子にそう同意を求めると君子は
「そうですわね、あなた」
と言って、和男の方に向き直り
「どうです、主人の言うように今日は泊まっていってらっしゃいよ。明日何かご予定でも?」
と妙に色っぽい声でそう言った。その時一瞬和男は誰しも抱く変な想像をしてしまった。下半身不随の夫(しかし妙に色艶のいい男である、この萱場氏は)と若い妻と、働き盛りの中年男性である和男という組み合わせ。まあそれ以上は読者の想像にお任せする。
 和男は
「いえ、何もありませんけれど、今のところ」
とそう返答すると、君子と夫の総一郎氏は
「なら、泊まっていけばいい」
とそう声を合わせてそう言った。

Thursday, October 22, 2009

萱場総一郎氏との出会い(5)

 和男は毎年のようにあの周辺の桜を見に出かけている。だったら、ひょっとしたら、一度くらいこの萱場君子と擦れ違うくらいしているかも知れない、そう思うと思わず親近感が押し寄せてきた。
 それにしても最初主人から自分へと紹介された時少なくとも彼女の年齢は萱場氏が六十五歳前後であることは確かなので、それよりはどう見積もっても、十歳くらいは若いと思っていたが、それはかなり彼女の面持ちから物腰全体に至るまで妙に落ち着いていて、精神的な重量感があるからだったが、こうして座って相対して話していると、意外ともっと若い年齢であるということが確認出来た、と和男は判断していた。そうなのだ、恐らく彼女は自分よりも更に八歳くらいは若い、従ってあの芝沢と共に訪れたクラブのママである幸恵ともそんなに変わらないくらいの年齢だとそう思った。
 しかしそれなのに最初この女性にはどこか慰安を感じさせるところがあるということは、それだけ人生的には精神年齢を重ねさせるものがあったということを意味する。
 通常ティーンエイジャーとか二十代前半と言ったら、殆ど頭の中はセックスのことだけである。それではいけないと自己規制して崇高な論理とか倫理に憧れていてさえ、そういう意志決断するということ自体に既に潜在的には性への飢えを持っているということを証明している。従ってそういう年齢を通過していくと自然とセックス体験を有することになるのが普通の若者のケースであろう。そうではなくて生涯童貞や処女を守り通しても、それ自体が弊害にはならないようなタイプの人は極めて少ない。どこか歪んだ性格にもなっていくことも多い。しかしそういう性的な充足感の欠如を穴埋めしてくれるような大人な態度の異性と男性が出会うことは精神的にはかなり大きなことである。その相手が自分よりは通常年上であることの方が多いが、極稀に年少者である異性にそれを感じ取ることもあるだろう。つまり君子には和男にとってではあるが、そういう風に自分よりも年少であるのにもかかわらず、彼の人生の苦渋を優しく包み込んでくれるようなタイプの慰安を極自然に醸し出させている、そんなところがあったのである。これは男性的な毅然とした中性的、ユニセックス的性的魅力である菊池真理にはないものだった。しかしそうであるが故に和男にとっては菊池真理のようなタイプこそ最終的にゲットしたいと思う価値ある異性でもあったのだ。つまりその途中のプロセスにおいて君子のようなタイプの女性がいてくれると勇気を持って菊池真理へとアタック出来るのに、と勝手にそんなことを頭の中で思い描いていた。そして今目の前にいる萱場君子には、ティーンエイジャーに接する三十女のような感じで、五十になる和男を誘導してくれるような心の余裕を和男は感じ取っていたのである。
 和男は更に多摩湖や狭山湖の話題を続行させ
「奥さんは多摩湖や狭山湖にも毎年行かれているんですか?」
と質問すると即座に君子は
「いえ、毎年じゃ御座いませんわ。でも一昨年は行きましたわね、その友人と一緒ですけれどね」
と言った。すると和男は更に
「では去年はどちらに行かれたんですか?」
と聞くと、君子は
「去年は千鳥が淵に行きましたね。それからこちらでは大原の方にね」
と言った。
「千鳥が淵は私もよく行きますね。でも大原の桜もいいですかね?」
と和男が聞くと君子は
「観音堂前などはなかなか壮麗ですわね」
と奥ゆかしい態度でそう言ったのだった。

萱場総一郎氏との出会い(4)

 和男はこの君子という名の萱場氏の妻である女性に直観的にどこか男性自体に対して手慣れた感触を掴んでいた。それは彼女が行く後から応接間に入っていった時に確かめられた後姿から察する色香と、腰つき、そして一瞬プーンと匂った体臭からである。
 幸恵や杏子と共通する感触がそこには感じられた。茜は黙って全然違った格好をしていれば、クラブ勤めであるとまでは分からない雰囲気がある。しかし菊池真理は真理でかなり妖艶さがあったが、彼女はビジネスウーマン的な男性性もある。だからこそ日頃隠しているような妖艶さを逆に想像させてしまうところもある。しかしこの今目の前にいるこの君子はどこかしら男性に対して巧みに慰安的雰囲気を与える術を知っているように直観的に和男はそう踏んだのだった。しかしそれは間違いではなかった。
 しかし萱場氏は
「どうです、いい眺めでしょう?」
と和男に同意を求めた。しかし和男は先ほど絶景と言ってしまったので、今度は違う語彙で表現しようと思い
「どんな人が昔は住んでらっしゃったんでしょうね?」
と聞いた。すると萱場氏は
「近くの寺の僧侶だって聞いていますけれどね」
と言った。そして続けて
「私もよくは知らんのですよ」
と言った。それに続いて君子が玄関先で萱場総一郎から「埼玉からいらした河合和男さんでいらっしゃる」と君子に紹介していたので
「河合さんは埼玉県のどこら辺にお住まいなんですか?」
と聞いた。和男は
「ええ、小平の方なんですけれど、実は会社は東村山市のマンションを利用しているんです」
と言った。しかし京都に住んでいる人にそんなことを言っても分かるだろうか?しかし意外にも君子は
「よく知っていますよ。あそこら辺のことは、東村山のお隣は所沢ですよね」
と言った。
「よくご存知ですね」
と和男が言うと、君子は
「ええ、昔友人がそっちの方に住んでいて、訪ねたこともあるものですから」
と言った。
「狭山湖とか多摩湖、よく友人と一緒に歩きましたからね」
と言った。和男は度肝を抜かれた。
「それは奇遇ですね。多摩湖は村山貯水池が正式名称で、東大和市ですけれど」
と言うと君子は
「狭山湖、正式名称は山口貯水池で所沢市と入間市ですわよね。そうでしょ?」
と続けた。更に和男は君子の博識に度肝を抜かれた。少々狼狽している表情を和男がしていると、萱場氏が
「これは、よく桜の名所を日本中歩き回っているんですよ」
とそう言った。確かにあの両貯水池の周辺の桜は綺麗である。

Tuesday, October 20, 2009

萱場総一郎氏との出会い(3)

 和男は萱場氏の車に再び乗り込んで、彼の自宅へと向かって萱橋氏の運転で助手席に乗って、車の外が10月なのに異様に暑かったということを後日想起するだろうとそう思った。確かに地球は温暖化している。冷夏であり暖冬であるような一年の季節感を狂わせるこの地球上の気候の変化に、しかしいつまでもそれが異常だと思っていても仕方ないとそう近頃では和男は思っていた。
 萱場氏は色々と裏道を知っているので、比較的早く十分足らずで東山の銀閣寺の裏手にある萱橋氏の邸宅に到着した。山の中腹にある見た目なこじんまりした邸宅は、しかし萱場氏の誘いで玄関の中に入った時意外と広いということが分かった。玄関で出迎えてくれたのは萱橋氏の妻である君子だった。「妻の君子です」と氏が紹介してくれたのだ。最初に目にした時君子は六十代後半であろうと思われる萱橋氏よりは少なくとも二周りは年少であると思われた。未だ三十代前半のように見えた。せいぜい菊池真理や茜よりは少し年長だろうけれど、君子は少なくとも昨日会った幸恵や杏子よりは明らかに若かった。
 菊池真理は長い髪の毛をしているが、茜はショートカットだ。しかし君子は中くらいに髪の毛を伸ばしていたが、胸だけは真理や茜よりも立派だった。腰つきもしっかりとした体格である。茜はスレンダーで、菊池真理は体格は比較的着やせはするものの、ふくよかそうだった。和男はここのところ自分の周囲に代わる代わる登場する女性たちを色々な角度から脳裏で値踏みしていた。
「どうぞお上がり下さいませ」
と言って君子は靴を脱ぐように促し、玄関に上がっていこうとする和男を応接間へと導いた。萱橋氏は玄関脇に設えられているスロープを電動車椅子を走らせた。そして庭先に面した廊下を行き、右にある応接間へと入って行き、自分で車椅子から降りてソファに寛ぎながら、「どうぞ、そちらにお座り下さい」と言って和男が座るように促した。
 君子は萱場氏の隣に座った。そして萱場氏は庭の方を指差して
「どうです?ここからだと平安神宮も南禅寺も京都御苑も見渡せた。またソファに座って眺めると丁度いいヴューとなるのだった。
「なかなかここからの眺めは絶景ですね」
と和男は言ったが、それは勿論世辞ではなかった。本当に素晴らしい眺めなのである。

Thursday, October 15, 2009

萱場総一郎氏との出会い(2)

 萱場総一郎氏との出会い(2)

 和男は萱場氏の電動車椅子から車へ、そして目的地に到着した後で、再び車から外部へ出ていくその逐一の動作にかなり手慣れた感じの印象を持った。それくらい頻繁に外出している身障者であることをその時彼は悟った。
 二人は境内に入り、各所の寺社を回って、最後に法堂の天井にある加山又造画伯の描いた雲龍図を拝観し、鑑賞した。しかし一箇所湿気で傷んで剥げ落ちている箇所があった。加山画伯のそこに絵を描いたのもそれ以前のものの傷みが酷かったためであると言われ、要するに空間的位置と、建築の仕方といった条件があまりよい状態ではないのだと和男はそう思った。
 ウィキペディアの2009年10月15日付けによると、天龍寺とは次のように記されている。

 天龍寺の地には平安時代初期、嵯峨天皇の皇后橘嘉智子(たちばなのかちこ、786-850)が開いた檀林寺があった。その後約4世紀を経て荒廃していた檀林寺の地に後嵯峨天皇(在位1242-1246)とその皇子である亀山天皇(在位1259-1274)は離宮を営み、「亀山殿」と称した。「亀山」とは、天龍寺の西方にあり紅葉の名所として知られた小倉山のことで、山の姿が亀の甲に似ていることから、この名がある。天龍寺の山号「霊亀山」もこれにちなむ。
足利尊氏後醍醐天皇の菩提を弔うため、大覚寺統(亀山天皇の系統)の離宮であった亀山殿を寺に改めたのが天龍寺である。尊氏は暦応元年/延元3年(1338年)、征夷大将軍となった。後醍醐天皇が吉野で死去したのは、その翌年の暦応2年/延元4年(1339年)である。足利尊氏は、後醍醐天皇の始めた建武の新政に反発して天皇に反旗をひるがえした人物であり、対する天皇は尊氏追討の命を出している。いわば「かたき」である後醍醐天皇の死去に際して、その菩提を弔う寺院の建立を尊氏に強く勧めたのは、当時、武家からも尊崇を受けていた禅僧・夢窓疎石であった。寺号は、当初は年号をとって「暦応資聖禅寺」と称する予定であったが、尊氏の弟・足利直義が、寺の南の大堰川(保津川)に金龍の舞う夢を見たことから「天龍資聖禅寺」と改めたという。寺の建設資金調達のため、天龍寺船という貿易船(寺社造営料唐船)が仕立てられたことは著名である。落慶供養は後醍醐天皇七回忌の康永4年(1345年)に行われた。

 かなりの有為転変を経験してきた地所であることをそこから読み取ることが出来る。和男に色々と説明しているところを見ると萱場氏は長年京都に住んできているのかと関心を抱き、和男は
「京都には長くお住まいなんでしょうか?」
と尋ねた。すると萱場氏は
「いえ、数年前に引っ越してきたんですよ。私が事故でこういう体になってから、色々と女房とも相談して、空気がいい場所を考えて、今は東山の方に住んでいるんですよ、これから河合さんも連れて参りますから、お分かりになられると思いますけれど」
と言った。その言葉が本当なら、萱場氏は比較的最近までは健常な身体の持ち主だったことになる。つまり六十歳くらいの時にそういった事故に遭われたということになる。
「かなり長いこと曲芸のお仕事をなさっておられたんですね」
と和男はそう言うと萱橋はにこやかな表情で
「そうなんですよ。私もその時までは若い頃のまんまの気持ちでそういう仕事をしてきていたんです。でもある時、やはり私も大分衰えていたんでしょうね、肢を滑らせてしまったこのざまになったってわけですよ」
と言った。
 確かに人間とは記憶の上ではいつまで経っても若い時のままであるが、確実に年齢とは人間の生活の上で老いを忍び寄せてきているのだ。それは確かに昨今和男も感じ取っていた変化である。つまりそのことに対して精神的な勢いでもってカヴァーしているのである。同じような人間的気迫のようなものを、最初に和男に語りかけてきた時から和男はこの萱場氏に対して感じ取っていたのである。だからこそ相手から自宅に来ないかという誘いに和男は快諾したのだった。
 和男は既に仕事に使用するつもりである写真は清涼寺と大覚寺において撮っていたので、これ以上萱橋氏の車で連れ来られたその天龍寺では写真を一枚も撮らなかった。萱場氏との対話をしながら歩いてきていたので、それはそれで一向に構わないと和男はそう思っていた。

Tuesday, October 13, 2009

萱場総一郎氏との出会い(1)

 和男は萱場氏がいきなり自分の素性を明かしたりして、和男に親しげに話しかけてきたことにいささか面食らっていた。そういうことというのはあまり東京近辺ではあるものではない。しかしここは京都なのだ、とそう思った。しかし少なくとも京都だからと言ってこうやって話しかけてくる人間の全てが善良だなどと和男は露ほども思っていなかったものの、何故かこの萱場老人と呼ぶには少し早いものの、後数年経てば立派な老人と呼んでもいい頃合の年齢らしきその紳士が率直に和男の好意を歓迎し、それを彼に伝えてきたのだから、取り敢えずは信用してもいいとそう思った。しかも相手は下半身不随の身障者である。勿論だからと言って、車に乗り込んだら後ろに手下が乗り込んでいて彼を羽交い絞めにしないという保障はないので、一応萱場氏が電動車椅子を走らせた先にある駐車場に停めてあった彼の車の後部座席をそれとなく確認するとどうやら誰もいないようだった。
 萱場氏は和男に
「どちらからいらっしゃったんですか?あっ、そうでしたお名前をお伺い致していませんでしたね」
と言った。和男は
「河合和男と申します。ブログとかウェッブデザインとかをしております。埼玉県から来ました」
と言った。それを聞いて萱場総一郎氏は
「何か垢抜けていてそういう感じのご職業ではないかとそう思っていましたよ。でも遠くからいらしたのですね」
とにこやかにそう言った。どうやらこの人は本当に他意のない人らしかった。
「どうぞ、お乗り下さい」
と言って、萱橋氏は
「前にお乗りになられますか、それとも後ろに?」
と聞いてきたので、和男は折角京都に訪れたのだから車窓からも少し景色を見たいと思って
「では前に乗らせて頂きます」
とそう返答した。
「どうです、私の自宅に行く前にどちらかお寄りになられたいところでも御座いますか?」
と萱場氏がそう聞いたので、遠慮なく和男は
「天竜寺に行ってみたいですね。加山又造氏の伽藍の龍の図を見たいものですから」
と言った。すると
「ああ、ここからすぐですから、行ってみましょうかね」
と言って、助手席のドアを開けて、和男を誘い乗せてから自分は車椅子ごと運転席についた。運転席から電動で下に降りてくる仕掛けになっていたので、彼は難なく席に着くことは出来たのだ。
 和男は以前、妙心寺において狩野探幽の雲竜図(重要文化財)を観たことがあったが、その時にはかなり感動をしたものだった。ほんのついでに訪れた場所だったのだが、他のどこよりもよいとそう思った。
 萱場氏は難なく運転し始めた。そして
「今日はお仕事で京都へお越しですか?」
とそう聞いたので、和男は
「ええ、もう大体仕事は終わりましたけれど」
とそう答えた。和男は暫く運転していると、天竜寺の境内の入り口が見えた。すぐ脇には京福電鉄嵐山駅が見える。この電車にも前に一度乗ったことがあったが、なかなかよかったとそう和男は思った。何より風情がある。江ノ電もいいが、この嵐電と呼ばれる電車のいい。
 萱場氏は境内の入り口から逆に左折して少し入っていったところにあった駐車場に停めた。二人は車が停められると、ドアを開けて晴天の嵐山駅前の境内の入り口まで歩いて行った。

Sunday, October 11, 2009

休日なのに仕事をしている午前中に京都で考えたこと③

 和男は本堂の中を見学し、霊宝館を見学して、特に霊宝館の中に設置されていた国宝に見とれた(阿弥陀三尊坐像、釈迦如来立像内納入品、十六羅漢図)後、和男は再び数枚、本堂、多宝塔、鐘楼を写真に収め、それを一度パソコンに入力して確認して、いい写真があると思ったので、清涼寺を後にした。そして次の目的地である大覚寺へと急いだ。一応京都へ来るまでの計画ではその日一日で全て目的を写真を撮り終えたら、新幹線でその日の夕方には帰宅するつもりだったからである。
 以前一度同じ順番で訪れたことがあったので、和男は十分くらいの徒歩時間の後大覚寺の入り口が見える地点まで来ていた。
 仏教的世界にはある種の癒し効果もある。特に先ほど見た後輪の前ににょきにょき出ている多くの手には汚いものを掴むことを我々に代わって行ってくれるという仏の思し召しでもある。しかしそれを見て癒される我々の行為は大勢の反逆的立場にあった僧侶や、革新的思想家の犠牲の下に成り立っているわけだから、それは和男のような幸福な時代に生れてきたデザイナーにとって今日は今日の気分で何をするかを決定するようなタイプの生き方自体が他の人々から白い目で見られないということからも、その恵まれ過ぎた時代の一員としての感謝の念をそれらの像の前でよく念じるということがそもそも重要なことなのだ、とそう思った。
 生きるということは、殺生をした生き物を食べて排泄をして、悲しければおいおいと泣き、時には淫らで汚らわしいことを想像しながら精液を射精することに他ならない。
 しかし今目の前にある大覚寺はまた清涼寺とも少し違う趣である。そもそも嵯峨天皇が開祖であるこの寺は皇族縁の寺だからである。大覚寺統のご本尊である。持明院統と南北朝時代には対峙してその後交代に天皇を出すことで手打ちにしたことで有名な寺である。大沢の池が見られる場所まで行くのには、くねくねと色々なものを見て行かなければならない。
 和男は寺の中から様々な角度から写真に境内の情景を収めた。その日は意外とあまり観光客が少なかったので、撮影するのには絶好のコンディションだった。新幹線で早朝にここまで来られたのは幸いだったのかも知れない。これからこういう場所を巡るのには、本当に訪れたい場所へと午前中の比較的早い時間帯に来るのがいい、とそう和男は思った。
 勅使門、心経殿、霊明殿などをカメラに収めてから、和男は寺を後にしようとして、出口へ向かっていると、数段降りるところに車椅子に座った壮年男性が下へ一人で降りられずに苦慮している姿に遭遇した。その時周囲に殆ど観光客は不在だったので、それを確認してから、和男は素早く近寄って行って、彼が車椅子で降りるのを手伝ってあげた。ちょっと上へ持ち上げたら難なく軽い体重のその男性を階段の下まで運ぶことが出来た。
「どうも大変すみませんでした」
と、壮年男性はそう和男に謝意を表した。そして続けて
「私実は車で来ているんですけれど、今日これから何か御用がないのであれば、どうでしょう、うちまでお越し下さいよ、私が運転する車で」
と言った。和男はその日特に予定は無かった。最初から清涼寺と大覚寺だけを撮ることが目的で、後は自由時間だったからである。
 入り口の反対側にロープが張ってある出口を出ると、壮年男性は名刺を和男に出して
「萱場総一郎と申します。私昔サーカスの曲芸団の一員だったんですけれど、ある日空中ブランコの時に下に転落して下半身不随になってしまったんですよ。幸い車だけは運転くらいなら何とか出来るものでから、移動はいつも一人で車なんです。どうですか、うちにいらっしゃいませんか?」
と簡潔にそう自分のことを説明し更に和男を自宅に勧誘した。和男は
「いやあ、今日は特に何も後予定はございませんけれど、いいんですか?」
と聞くと、萱場総一郎は
「ええ、勿論ですとも」
と笑顔でそう言った。ただ車椅子を階段の下まで一回運んだだけのことなのに、余程その時この萱場氏は嬉しかったのだろう、そう和男は思った。
 二人は寺の境内を出て程ないところにある駐車場まで和男は歩いて、萱場氏は電動の車をゆっくりと走らせて、歓談しながらそこまで行った。

Thursday, October 8, 2009

休日なのに仕事をしている午前中に京都で考えたこと②

 和男は小学校の三年生から大学を卒業するまで横浜に住んだ。そして大人になって東京に一人で住むようになるまでその横浜の実家だけが帰るところだったが、小学校の五年か六年の時に修学旅行で京都に行き、更に大人になって二十代後半くらいにやはり仕事で京都へ行った。しかしその時にもまだ京都駅は今のように立派なステーションへと改築されてなかった。もっと閑散とした駅前だったように記憶している。まさにこれから駅前の再開発がスタートするというところで一回その当時の京都を東山や嵐山の方へと仕事で方々訪れたのである。当時彼は肉体労働をしていたのだ。つまり渡り労働者である。
 彼が出版社とかデザイン会社へと勤めるようになったのは、三十代前半の頃のことである。それから今しているようなタイプの仕事の技能を彼は身につけていったわけだ。
 それにしても茜からビートルズの話が出るなんて意外だった。しかもきちんと彼らにおける自分の好みも言えるくらいには知っているということが、和男にとって自分とは離れた世代であるのに、意外だったし、ビートルズが好きである彼には嬉しくもあった。
 だから退屈していた新幹線の車内で撮った写真を確認するために持ってきていたパソコンでユーチューブをネットで開いて「サムシング」のフィルムクリップとか、映画「レット・イット・ビー」を聴いて紛らわさせたのだが、その時改めて感じたこととは、彼らの音楽が熟成していくのは、個々の名曲ナンバーとは関係なく、やはりインド行きの直前くらいからであるということだった。そして解散して四人は個々の音楽を追求していくのだが、1974年くらいまでは四人ともビートルズの持っていた後期の音楽のテイストを携えていた。ジョンの「マインドゲームス」やポールの「バンド・オン・ザ・ラン」、ジョージの「ダークホース」、リンゴの「リンゴ」くらいまでである。しかしその後、彼らは個々の音楽の追求のために、あるいは時代の変遷のために次第に別の方向へと散って行く。それは致し方ないことである。つまりそれは男性と女性の出会いと別れにも言えることだからだ。
 和男も三人くらいの女性との親しい日々と別れる日、そしてその後を経験していた。その頃のことを追想しながら、嵐山の道筋を歩いた。そう思うと昔好きだったビートルズの後期の音楽が意外と京都嵐山には似合うと、そう和男は思った。しかし一年前にやはり仕事で訪れた東山は、その日少し霧雨の日だったことも手伝って、また違った音楽が似合っているとそうその時は感じたものだった。そうである、ああいう日の東山、哲学の道を歩いたりするのには、エリック・サティの「ジムノペディ」なんかがいい、とそう和男は道すがらそう思った。
 そんなことを考えながら歩いていると、清涼寺の境内の入り口の正門が見えてきた。そこには清涼寺と立派に掘った部分に白いペンキで塗られた文字が正面に見えてきた。そこは嵯峨釈迦堂とも呼ばれ浄土宗の寺であり、融通念仏の道場としても知られている。かつてそこは比叡山延暦寺と対抗しようという西の側からの東への意図もあったと言う。1467年から1477年の十年間の応仁の乱のいつかの時期において伽藍は消失してしまうものの、乱収束後である1481年、つまり四年後には再興された、と言う。
 境内に入ると、椅子が手前に置かれてあったので、そこに腰を下ろして、和男は肩に背負っていたバッグから一眼レフのデジカメを取り出し、境内を様々な角度から写真に収めた。

Wednesday, October 7, 2009

休日なのに仕事をしている午前中に京都で考えたこと①

 翌日和男は土曜日だったので、休日だったのだが、菊池真理とは当然その日は社のオフィスで会うことはなかったが、そのことが却ってこれからどういう風に彼女と接していけばいいか色々思念することが出来た。しかもその日は以前から頼まれていた仕事のために、休日を利用して風景写真を撮らなければいけない日だったので仕事をしなければいけなかった。納期に間に合うようにあるブログ制作会社から、テンプレート選択の一つに風景写真を入れたパターンを制作するために敢えて向こうさんの注文で京都内の名所の風景写真を指定してきたのだ。そこで交通費向こう持ちということで、早朝の新幹線に東京から乗って京都に到着した後、彼の考えの内にあった清涼寺をまず訪問するつもりで、そこから山陰本線(通称嵯峨野線)内にある駅である嵯峨嵐山から歩いて七分くらいで現地に到着した。その日はかなりしぶとい残暑の日だった。幾ら顔から吹き出るハンカチを拭っても次から次へと汗が止まらなかった。その自分の汗の匂いを嗅ぎながら、昨日の女性三人の身体から発散される芳香を思い出していた。そして一瞬だが、自分が未だ若い頃に女性を抱きたいと思いながら学生時代卒業前に、ストリップ劇場の女性で童貞を失う頃まで下宿をしていたアパートでマスターベーションをしていた時に射精した時の自分の勢いのいい若い精子のことも思い出した。
 女性とは年齢とか個々の男性体験に従って発散する女性ホルモンの関係からか、それぞれ固有の体臭というものがある。それは近くで語り合うと自然と覚知し得る。
 特にこれから大勢の男性に接触していくことになる準備段階の年頃の女性と、かなり大勢の男性の精子を吸収してきた体験の持ち主とでは本質的に傍で彼の鼻腔を刺激してくる匂いが異なる。それぞれによさがあるが、幸恵とはクラブを出てから別れるまでに話した芝沢の話によると、現在は独身だが、以前はある実業家と三年間くらい結婚していたそうだし、その意味ではそれなりの体臭だったように思い出された。しかしよくその素性が知れないのはやはり茜だった。茜はどちらかと言うと、性体験そのものは豊富ではないかと思われる態度だったが、人数は恐らく幸恵ほどではないのではないか、とそんなに大勢の女性を相手にしてきたわけではない和男ではあったが、想像することだけは出来たと少なくとも彼はそう思った。
 つまり独身になった後経済力がある程度ある幸恵はかなり大勢の男性と単発的に交際してきた感じだったが、茜に関しては年齢は彼女より恐らくかなり上であろうが、そういうパトロンの男性にねちっこく愛されてきた、そんな感じを彼女の隣で語り合っている時にその芳香が彼の鼻腔を刺激した時のことを思い出し想像した。
 ところで服を着た姿を眺めながらその女性の裸を想像して、特にセックスをしている時の姿態(痴態と言ってもいいが)を想像すること、しかも未だ見ていない女性のワギナを想像することというのは実に楽しい。それだけでここのところ忙しかったので、たった二日前に久し振りにオナニーをして以来、抜いていなかっただけなのに、働き盛りのいい男性である和男にとっていい女性を目の前にしてお預けを食らっていたために清涼寺に到着するまでの間、代わる代わる昨日の三人の女性の痴態を思い描き想像していると、つい歩き難いくらいに勃起してくるのだった。残暑の休日に名刹に赴く先の道すがら勃起するということも、その休日での仕事を終えた後に必ず獲得する愉悦の日々を想像すると、そんなに悪き気持ちもしない和男だった。男とは精子をいざという時のために濃く射精するためにあたら下らない射精をすることなく貯めておくことが必要なのだ。だからこそ残暑の煽りを食らった徒歩の道すがら、後日獲得する愉悦を想像しながら勃起状態のままそれ以上何もせずにやり過ごすこと自体も、まるで雲水中の修行僧のような気分になって、精神的には充足感を得ることが出来た。そうだ、ここは京都なのだ、と清涼寺に到着した時和男はそう思った。

Monday, October 5, 2009

親しくなるきっかけ

 和男が茜と話し込んでいる間、芝沢は幸恵としきりに二人と幸恵の隣に座る杏子も混ぜてゴルフの話しをしていた。やれ石川遼がどうだとか、宮里藍や美香、あるいは 諸見里しのぶ とか不動裕理だとか上田桃子とか 横峯さくら がどうだとか話していた。
 茜に対してその時和男は、親密さを感じ取っていた。大体において誰かと親しくなるということは、別のある人に対して親しくなりたかったのに、それが叶わずにいる時にそういった心の隙間が空いている二人がその隙間を埋めようとして接近することが多い。
 その時の和男にとってもそういう気持ちもあった。何故なら一番気にかかっていた菊池真理は自分が結婚しているかどうかも定かにしない。またそれでいいのが仕事仲間である。つまりそれ以上の関係にはなかなか行けないからこそ、神秘的に理想化しやすい相手として真理を位置づけることもその時の和男には出来た。だが今目の前にいる茜はそういう風に理想化していく必要を感じさせないくらいに親密になれる気がした。
 和男は茜の質問に対して
「意外と若い女性には私は理想を抱かないで、寧ろ安心出来る相手を選びたいという気持ちもありますね。尤も私もそう若くないから、そういう意味では若い頃は年上の女性に理想を求めたけれど、今では年下でも三十歳以上はもう姉御的に見ますね。女性の方が常にずっと精神年齢は高いからね」
と真摯に返答した。すると茜は
「まあ、社長さんもお若いままでいらっしゃいますのね」
と言った。
「そりゃそうさ、私だっていつまで経っても男の子っていうことなんだよ」
と言った。茜がそう言うと、しかしあまり腹も立たない感じがしたのは不思議だった。和男くらいの年齢の男性で独身だと知ると、同じマンションなんかでは独身の女性は警戒をして一緒にエレベーターには乗ろうとしない。そういう時意外と和男は傷つくのだった。
 しかしその日はあまり遅くならない内に帰宅したかったので、それとなく芝沢にそう耳打ちすると、芝沢は帰る旨を幸恵に耳打ちし、勘定をしようと立ち上がった。和男もそれに続いた。その際和男は
「また、いずれ今度は一人で来るよ」
と茜にだけ自分の携帯の番号をナプキンの裏にポケットに入れていたボールペンで素早く書いて渡すと、彼女は快くそれを受け取って、ドレスのポケットに仕舞い込んだ。
 しかしクラブの外に芝沢と出ると不思議と茜のことよりもやはり菊池真理のことが思い出された。毎日一緒に仕事をしている相手とはそれ以上もう親しくはなれないのだろうか?あるいはなるべきではないのだろうか?
 でももう一度今度は一人で茜を目当てに会いに来ようとだけはそう思った。幸恵も杏子も肉体だけはそそるものを持っている。意外と和男は若い女性の方に精神的には安らぎを感じるタイプなのである。
 そう考えながら、和男はそのクラブのある町の最寄りの駅から一駅乗って先ほどの店のある町まで戻ることにした。そして
「また何かあったら連絡してくれよ」
と言う芝沢に携帯の番号だけを教えてそのまま別れた。
「今日はご馳走さんだったね」
とだけ言って和男は改札を通り抜けた。それを見送って見えなくなると、芝沢もタクシー乗り場へ行った。

Sunday, October 4, 2009

ひょんなことから誘われて行ったクラブで(4)

 和男は茜の作ったジンを一口飲み込みながら、意外とこの女性は即座に和男の観念的質問に返答したりする辺り、そう見縊ってもいけないとそう思った。
 何故そう思ったかと言うと、案外彼女と語っているとリラックスした気分でいられる自分を発見したからである。しかしそうやってあまり最初から相手に気を許し過ぎることがあまりこれからそれなりに親しくしていこうと思っている相手に対しては特に女性の場合気をつけなければいけないとそう和男は思っているからである。だから敢えて彼女にその時の態度で惹かれていく自分を抑制して茜が意外と色々なことを知っているなかなかそう見縊ってはいけない強かな女性であるかも知れないと念頭に入れておくことは無意味ではない、とそうも思ったのだ。しかし同時にそう思えるのは、つい最近菊池真理という異性に対していつになく関心を注ぎ、恋心を抱いてしまっている自分が、その新たな展開に対するある種の中年固有の保守的な怯えが、相手がその当の菊池真理ではない相手であることを承知で、安心したいという気分に自分がいるのかも知れない、とそう和男は思った。
 つまりだからこそただ単に茜に対して、和男は幼少の頃から異性に対するときめき的な精神的悩みを同性よりも異性の気のおけない相手に告白するようなタイプの男子だったので、そのことも手伝って相手がずっと自分よりも年少な相手なのにもかかわらず、相手を相談相手として姉御的存在として認識することによって菊池真理への恋に纏わる不安を除去しようとしているだけなのかも知れないと、そう思った時ずっと年少である茜に対して必要以上に買被っているということもあり得るとそうも思ったのだった。
 しかしそういうことは幾ら相手が自分よりもずっと年少であってもそう一瞥で判断出来ることではない。とてもじゃないが、そんな自信は和男にもなかった。実際に本質的に相手がかなりすれた女性であるかとか無垢な部分を残しているかということ自体も常に一個の人格において矛盾なく共存し得るものである。つまりそれくらいに人間とは複雑であるということだ。しかしだからこそ逆にそのどちらなのか、それとも両方であり得るのか、それともどちらでもあり得ないかということを確かめるだけは、別に構うまいという気持ちに不思議と和男は茜に対してならなれそうだと、そう思ったのである。
 これが対面している相手である幸恵ならそうは行かない。杏子もそういう気持ちになれる相手ではない。尤も先ほど想像したように幸恵と杏子となら、3Pをしてもいいかも知れない、つまりそういうことなら案外この二人はいける、そう和男は直観していた。
 しかしそういったことと、かなり年少者である茜に対して抱ける気持ちとは違っていて、しかし同じこの中年の和男の身体と精神に共存し得るのである。またそのことを自覚出来るということが、まだまだ俺は行けるとそう思えて嬉しくもあるのだった。
 そんなことを考えていると茜が
「河合社長さんは、女性に対してではどんな感じの印象をお持ちでいらっしゃられるんですか?」
といきなり聞いていた。それに対して和男は
「それはあなたくらいの若い女性に対しての気持ちですか、それとも中年女性に対してのことですか?」
と聞いたら、茜はそれに対して
「両方お伺い致したいものですわ」
とそう言った。

Saturday, October 3, 2009

ひょんなことから誘われて行ったクラブで(3)

 和男は茜のちょっと上目使いの視線と、その視線の行く先が自分の顔だけではないような気がした。時には自分の肩とか自分の胸、ある時には自分の下半身ではないかと想像した。そういう風に一度想像しだすと、今度は彼女の全身に対して関心が注がれだす。そして女性は昔父親が自分が大人になってからそれとなく教えて貰った女性生殖器の名器と鈍器の違いが女性の耳の形から分かるという知識を応用して茜の膣の形状を想像した。そしてそれとなく彼女の耳を視線で探りを入れてみると、確かに一箇所凄く窄まっていてまるで男性のペニスを吸引する蛸壺のような名器のように思えた。つまり締りのいいワギナであるに違いないと思えたのである。そうやって一瞬でも想像してしまうとたちまち和男のペニスは菊池真理を想像しながらマスターベーションをした時に、インターネットのアダルト配信映像で確認出来た本当の男女が性行為をしている最中の映像から確かに観察出来たバルトリン腺液が滴るワギナの締まったり緩んだりするその様子を思い出し、つんつんとペニスの先端からカウパー氏腺液を滴らせながら亀頭が一気の膨張していくのを股間に感じていた。
 しかし若い頃ならその勃起という状態そのものへ羞恥を感じ何とか隠そうと試みたものだが、五十近くになってくると一切そういった羞恥よりも自分の回春作用自体に対して冷静かつ沈着に感じて、既にそういった勃起した状態を若いこういう場所の女性に悟られることは寧ろいい誘いの口実になるとさえ思ってしまいもするのであった。
 しかしそんな一瞬の淫らな想像をしながら少し自分でも濡れた様相の瞳を茜に捧げていたことを一瞬で見抜かれたか、幸恵が
「あら、河合社長さんは大分茜ちゃんをお気に入りになられたみたいですね」
と言った。和男はすかさず
「そんなことないですよ、どうせお手合わせ頂けるのであれば幸恵ママさんがいいなと思っていたんです」
と和男は茜に色々立ち入ったこと、例えば若い女性から見た中年男性の男っぷりとかを聞きたいと願っていた矢先にそういう風に聞かれたので、咄嗟に同伴者である芝沢自身にあまり無粋な遊び方知らずに思わせてしまうのもまずいと流暢にそう一気にママさんである幸恵に思い浮かんだセリフを口に出していた(勿論芝沢みたいな男性のお供ということであるならママさんにも無粋ではないことを見せておくべきである)。するとそれに対してすかさず今度は幸恵は
「あら、社長さんもお上手だこと。私みたいなおばさんを」
と謙遜して幸恵はそう言った。それに対して芝沢は
「河合君は、結構真面目な方だと学生の頃はそう思っていたけれど、本当は意外とそういうタイプの男性の方がいざとなると隅に置けないもんだよね、ねえ幸恵さん」
と和男をちゃかすように芝沢がそう言った。
「やめてくれよ、芝沢君」
と技と照れるような風情で和男はそう言いながら今度は幸恵を想像の中で裸にしてセックスをしているところを想像した。すると何気なく杏子に指図などをしていた時にふと見せる横顔と項と耳元から彼女の方も決して悪い生殖器ではないかも知れないと思えた。そう思いながら和男は三人で一度試してみたいなとも思った。 
 そして先ほど聞いてみたいと思っていたことを隣で再びジンの水割りを氷を入れて作って和男に再び出そうとしている茜に思い切って「ところで茜さんは中年男性、例えば僕くらいの年齢の男性の真の魅力って何だと思う?」と聞いた。すると茜は「あら、社長さんみたいな男っぷりにいい方でもそういうことって気になるものなんですか?」と少し悪戯っぽい笑顔を見せてそう言った。和男は「そうだよ」と頷いた。これである。これが中年男性にとってはたまらない部分があるのである。少し置いてから茜は「そうですね、あまり女性に常に肩入れし過ぎないということ、それでいて適度に女性に構ってくれて、でもそれがさり気無くて巧い、でもその巧さを鼻にも引っ掛けないっていうことかしらねえ。ただ単に私の主観ですけれどね」そう真摯な瞳で茜はそう言った。その言葉は実に適切だと和男は思った。その瞬間和男は茜の肉体全体を何か愛しいものでも見つめるように眺めた。そしてこういう女性ともし相手がかなり慣れている女性なのであるなら、一度お手合わせを願い、それから菊池真理のような女を抱くということが一番いい道筋ではないか、とさえ思えた。 
 しかしそれはあくまで一瞬でその思惟内容を茜に悟られるほど初心な態度しか取れないほど既に和男は若くはなかった。