Thursday, January 14, 2010

大原で出会ったものとこと②

 和男はその椅子に座り暫くその木彫の細工を眺めてから今度は眼を瞑って瞑想をした。
 和男は濃密な一日は長く感じる、とそう思った。一昨日久し振りに大学を卒業して以来会っていなかった芝沢と出会い、茜たちの働くクラブに行ったのだ。そして今こうして昨日訪れた京都大覚寺において知遇を得た萱場総一郎氏と君子夫人と間で殆ど即興的な性の競演を果たして今こうして一人勝林院に赴いているのだ。二日前にその前日一緒に初めて食事をした菊池真理のことさえ何故かかなり昔に知り合った他者のようにさえ思えてしなうここ数日の出来事だった。いやあの幸恵ママと杏子や茜という存在もその時点では神秘的に思えた。つまり中年男性の欲望をそそるが決してそういうことへとはそう容易には運ばないことを知っていればこそ楽しい会話の一時であった。しかしその翌日和男はひょんなことから見知らぬ夫婦間の性戯の道連れにされたのだ。そうなってしまうと、今度はそれまでは想像もしていなかった幸恵や杏子や茜に対する「現実の姿」としての女性の日常生活とか夜のことなどが妙に具体性を持って想像されてしまうのである。つまり昨日からの一続きの総一郎氏と君子夫人との間の痴態的一件が和男にとっての菊池真理、幸恵ママ、杏子、茜に対する神秘性を一気に打ち砕いたのである。ここで一人霧雨が晴れて徐々に快晴へと転換しつつあった先ほどまでいた南禅寺界隈とは全く異なった雰囲気の快晴を味わっていた。一度大原三千院へと赴く小道の手前でバスが終点で停車した時、その小道の右脇に流れている下水が清水のように透き通っていたが冷たく感じられるくらいに再び山へバスが登るに従って曇ってきていたのだ。
 しかし勝林院に拝観する頃再び太陽の光が固有の杉木立に差し入ってきていたのである。
 和男はぶらぶらと杉木立の方へ行こうとすると、途中で土木工事をしている台車を運んでいる作業員の中年男性に
「ここから先はどこへ行くんですか?」
と聞くと男性は
「ただ檀家のお墓があるだけですよ」
と言った。和男はそれ以上先に進むと大原の名刹とは関係のない場所へ行くと知ると再び勝林院の本堂へと戻り、暫く庭園を眺めた後、そこを後にして緩い坂を上り、三千院の方へと戻って行った。

Wednesday, January 6, 2010

大原で出会ったものとこと①

 大原は修行していた僧侶や尼僧たちが修行から脱走して、駆け込んでいった先であるが故に裏比叡と呼ばれ、別所と名指されていた。要するに京都という街は、ある意味では伝統と革新が共存している土地柄であることの最大の理由としても、神格化された世界と、その内実において性的虚飾も十分兼ね備えてきたことが物事の表裏を感じさせるというところに複雑なリアリティがある。
 和男はさきほどまでの性的競演が一体自分の人生にとって何を意味するのかということを考えていた。それは勿論夫婦や恋人との性行為とも違うから、端的に生きている者同士の性的友情と言えた。
 つまり今自分が行こうとしている先にはそういう性的友情をも育んできたということを既に京都へ訪れる以前からずっと和男の念頭にはあった。
 バスは途中で列車の走る橋の下を潜ったりして、くねくねとした山道を行き、大原三千院などへと登る道の入り口に近いバスターミナルに到着した。その道を徒歩で登りながら、右側を流れる比較的綺麗な水の流れを自分の袂に感じながら、和男は自分の人生の中でついた灰汁とか滓も全てそこに流していまいたかった。勿論あまりにも自責の念に駆られる過去があったわけではない。しかし幾つかの胸を未だに痛めさせる思い出もないではなかった。それくらい誰にだって後悔という形まで行かないまでも持ち合わせていることだろう、そう和男は思った。しかしそんな風に他人も恐らく、などと考えることに今意味はない。まず自分である。
 十二三分で三千院の表玄関の下まで辿り着き、初めにまず勝林院に入った。三百円と安い拝観料である。その本堂の奥にある杉林も惹き込まれる雰囲気があった。本堂の屋根の裏にある木彫の細工がよく見える箇所に椅子が置かれてあった。