Wednesday, January 6, 2010

大原で出会ったものとこと①

 大原は修行していた僧侶や尼僧たちが修行から脱走して、駆け込んでいった先であるが故に裏比叡と呼ばれ、別所と名指されていた。要するに京都という街は、ある意味では伝統と革新が共存している土地柄であることの最大の理由としても、神格化された世界と、その内実において性的虚飾も十分兼ね備えてきたことが物事の表裏を感じさせるというところに複雑なリアリティがある。
 和男はさきほどまでの性的競演が一体自分の人生にとって何を意味するのかということを考えていた。それは勿論夫婦や恋人との性行為とも違うから、端的に生きている者同士の性的友情と言えた。
 つまり今自分が行こうとしている先にはそういう性的友情をも育んできたということを既に京都へ訪れる以前からずっと和男の念頭にはあった。
 バスは途中で列車の走る橋の下を潜ったりして、くねくねとした山道を行き、大原三千院などへと登る道の入り口に近いバスターミナルに到着した。その道を徒歩で登りながら、右側を流れる比較的綺麗な水の流れを自分の袂に感じながら、和男は自分の人生の中でついた灰汁とか滓も全てそこに流していまいたかった。勿論あまりにも自責の念に駆られる過去があったわけではない。しかし幾つかの胸を未だに痛めさせる思い出もないではなかった。それくらい誰にだって後悔という形まで行かないまでも持ち合わせていることだろう、そう和男は思った。しかしそんな風に他人も恐らく、などと考えることに今意味はない。まず自分である。
 十二三分で三千院の表玄関の下まで辿り着き、初めにまず勝林院に入った。三百円と安い拝観料である。その本堂の奥にある杉林も惹き込まれる雰囲気があった。本堂の屋根の裏にある木彫の細工がよく見える箇所に椅子が置かれてあった。

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