Thursday, May 6, 2010

大原で出会ったものとこと③

 途中で彼は、後鳥羽天皇陵がすぐ近くにある筈だということを既にウィキペディアなどで以前やはり京都で仕事で来た時に回れなかった大原の事を帰宅後にインターネットで検索した時ある事を知っていて、ふとそのことを思い出し、もう一度引き返して箒で境内を掃除していた勝林院のおじさんに聞くことにした。
 「後鳥羽天皇陵はこの近くだと聞いているんですが、どちらなのですか?」
 するとその老人は私の質問に一瞬箒で地面に落ちた紅葉を掃くのを止め
 「ここですよ。」
 と三千院へと向かう坂道の左手を指差し、こんもりとした森になっている背後の手前にある何か白い塀のような石が見えたものはそれである、と示した。
 和男はそちらに行って見ることにした。この天皇陵は明治時代に建造されたらしい。
 しかしその厳粛な雰囲気の天皇陵を前にしてショルダーバッグから取り出したデジカメの一眼レフで正面からそれを撮影すると、急に若い頃の性経験のことが思い出された。先ほどまで奇妙な壮年夫婦の相手をしていたことと、その天皇陵の厳粛な雰囲気は和男のペニスの淡い炎症が収束していく時のえも言われぬ快感と相まって青年期のセックスに纏わる記憶を引き出したのかも知れぬ。
 それは初めてに近い経験として二十代初頭に本番をするソープランドに赴いた時のこと、そしてそれらからややあって三〇代になってから目黒で現在はデリヴァリーヘルス嬢と呼ばれる、かつてはホテトルと呼ばれた女性を買った時のことである。
 神田にあった(今あるかどうかは確めてもいないので和男は知らないでいたが)本番なしのオスペのソープランド、当時は未だトルコと言っていた店に何度が通い詰めて、そこでは性欲を発散する事自体は可能だったが、何せ挿入が出来ないということを知っていたので、もう少し高額料金のきちんと本番が出来る店に繰り出した(場所は既に忘れいてたが東京都内、或いは横浜であったことだけは確かだ)時に相手をした中年女性、恐らく今から考えれば自分が若かったから年取って見えたが、今の自分よりは大分若い三〇代後半の女性だったと和男は想起しながら、記憶からその当時のそのプロの女性の年齢を引き出そうした。
 その女性はフェラチオをした後で、彼のペニスを自分が正常位で下敷きになりながら、手を宛がって挿入するように導いた後、腰をグラインドさせだした和男の下半身の動きに呼応するかの様に自らも膣圧をかけて臨みながら、一瞬次の様に呻いたのである。
 「あんた、大きいおちんちん!」
 その中年女性の膣は極めて日本的なぬめっとした感触だったことだけはよく覚えていた。最近のプロの女性と違って当時のプロの女性はしっかりと陰毛を生やしたままにしていたことも和男は覚えていた。和男はその一言でペニスの膨張を更に鼓舞された気持ちとなり、何としてでも年配の女性をまるで後家殺しの如くアクメへと導くべく努力して下腹部に力を込めてピストン運動を重ねていったものだった。思えば、セックスの最中に「腰を使うのよ」と教えてくれたのは彼女だった。その経験はその後の和男のセックスライフに多大なエキスとなったことは確かだった。
 そしてその時のことに対する想起は、連鎖的にそれから数年後既に三〇代になっていた和男がキャバレー勤務をして帰路に、目黒駅近くのラヴホ内の公衆電話でホテトル嬢を手配するように指示してやってきた若い女性(本人は24歳だと言っていた)が健康美溢れる女性であったことも思い出していたのだ。
 その女性の膣の周辺は和男がクンニリングスをした時に程よい汗の匂いがした。ややどどめ色になって鈍い反射光を示してはいたが、膣内は極めてサーモンピンク状だったことを鮮明に記憶している。その女性は当時の和男よりも七歳位若かったが、心の中でそのたっぷりとした抱擁力から、目下なのに「ママっ!」と叫んでいた。膣内でコンドームを装着していたにも関わらず精子を一気に彼女のアクメを見計らって精液溜まりに放出する事自体の愉悦に母乳を欲しがる赤ん坊の気分に戻ってまるで母親と交わっている感慨すらあったのである。
 和男は果てた後にゆっくりと彼女の膣から竿を抜き出すと、その時彼女が
「早く三十歳位になりたい」
 と言っていたのも印象的だった。
 その時既にコンドームを外し、ぬるぬるとした自らの切っ先をやおら枕元に置かれてあったティッシュペーパーに彼女が拭き取ってくれた後で、彼女がベッドの脇に置いてあった、それまでセックスをする為に脱いでいたパンティーを装着し出すと、その姿を見て和男のペニスは再びむくむくと勃起し始め、それをあざとく察知した彼女はパンツを履いた上から彼女は優しく手のひらで撫でたのだ。そして
「もう、こんなになって」
 と和男の下半身の勇姿を見て頼もしい男性に抱かれた事を光栄に思うような、世辞でもあったかも知れぬが、若い女性固有の配慮を和男に示したのだ。
 その時和男は嬉しいと思った。
 そういう女性の言葉とは男性の意気を精神的に高揚させるものである。その時和男は女性というものは男性から抱かれる前に、余り男性に中年夫婦の妻が夫に発言する様な本音を言ってはいけないとそう思った。何故なら男にとって性欲欲情をいい形で愛する女性へ発動することが可能となる条件の内で最も大きなものとは、慎ましやかさであると思うからである。
 男から抱かれる事を付き合っているのだから当然と思って、抱かれた後の倦怠期を迎えた男女の様な会話内容をすることだけは男女の間柄では、少なくとも性的な結合を控えている事に於いてご法度である(同じことは男が相手の女性へと取る態度でも当て嵌まることである。このことは人間が本質的に他者に対してこちら側への過剰な配慮を決して求めてはいけないということを示してはいないだろうか?自信、情熱、自己主張は常に控え目に、ということであろう)。
 男とは余り同性同士のような親しげな態度を異性から取られると、少なくとも肉体関係を取り結ぶ以前の段階では、がっつく女性であると踏んで相手に幻滅してしまうものである。そういった女性たちをその二つの体験より以前に和男は二人ほど知っていたのだ。
 最初に思い出したそのソープランド嬢は既に六十をとおに超えて当然そういう世界からは引退していることであろうし、五〇を目前とした和男より七歳位若いホテトル嬢も既にいいおばさんになっている筈だ。彼女は凄く健康的だったので、恐らく哺乳類の動物の様に交尾をして沢山の子供を産み授かっているに違いない、とそう思った。
 しかしそういう風に若い頃に味わった性的ないい経験の相手というものは、たとえ仮に街でばったり顔を合わせて気付きもしないままで終わるだろうが、和男の中では感謝の気持ちで一杯である。所詮人生他者との間での思い遣りである。それだけが後年にいい思い出となるのだ。想起を甘酸っぱい気持ちにさせるのは、心地よい異性との性体験である。

Thursday, January 14, 2010

大原で出会ったものとこと②

 和男はその椅子に座り暫くその木彫の細工を眺めてから今度は眼を瞑って瞑想をした。
 和男は濃密な一日は長く感じる、とそう思った。一昨日久し振りに大学を卒業して以来会っていなかった芝沢と出会い、茜たちの働くクラブに行ったのだ。そして今こうして昨日訪れた京都大覚寺において知遇を得た萱場総一郎氏と君子夫人と間で殆ど即興的な性の競演を果たして今こうして一人勝林院に赴いているのだ。二日前にその前日一緒に初めて食事をした菊池真理のことさえ何故かかなり昔に知り合った他者のようにさえ思えてしなうここ数日の出来事だった。いやあの幸恵ママと杏子や茜という存在もその時点では神秘的に思えた。つまり中年男性の欲望をそそるが決してそういうことへとはそう容易には運ばないことを知っていればこそ楽しい会話の一時であった。しかしその翌日和男はひょんなことから見知らぬ夫婦間の性戯の道連れにされたのだ。そうなってしまうと、今度はそれまでは想像もしていなかった幸恵や杏子や茜に対する「現実の姿」としての女性の日常生活とか夜のことなどが妙に具体性を持って想像されてしまうのである。つまり昨日からの一続きの総一郎氏と君子夫人との間の痴態的一件が和男にとっての菊池真理、幸恵ママ、杏子、茜に対する神秘性を一気に打ち砕いたのである。ここで一人霧雨が晴れて徐々に快晴へと転換しつつあった先ほどまでいた南禅寺界隈とは全く異なった雰囲気の快晴を味わっていた。一度大原三千院へと赴く小道の手前でバスが終点で停車した時、その小道の右脇に流れている下水が清水のように透き通っていたが冷たく感じられるくらいに再び山へバスが登るに従って曇ってきていたのだ。
 しかし勝林院に拝観する頃再び太陽の光が固有の杉木立に差し入ってきていたのである。
 和男はぶらぶらと杉木立の方へ行こうとすると、途中で土木工事をしている台車を運んでいる作業員の中年男性に
「ここから先はどこへ行くんですか?」
と聞くと男性は
「ただ檀家のお墓があるだけですよ」
と言った。和男はそれ以上先に進むと大原の名刹とは関係のない場所へ行くと知ると再び勝林院の本堂へと戻り、暫く庭園を眺めた後、そこを後にして緩い坂を上り、三千院の方へと戻って行った。

Wednesday, January 6, 2010

大原で出会ったものとこと①

 大原は修行していた僧侶や尼僧たちが修行から脱走して、駆け込んでいった先であるが故に裏比叡と呼ばれ、別所と名指されていた。要するに京都という街は、ある意味では伝統と革新が共存している土地柄であることの最大の理由としても、神格化された世界と、その内実において性的虚飾も十分兼ね備えてきたことが物事の表裏を感じさせるというところに複雑なリアリティがある。
 和男はさきほどまでの性的競演が一体自分の人生にとって何を意味するのかということを考えていた。それは勿論夫婦や恋人との性行為とも違うから、端的に生きている者同士の性的友情と言えた。
 つまり今自分が行こうとしている先にはそういう性的友情をも育んできたということを既に京都へ訪れる以前からずっと和男の念頭にはあった。
 バスは途中で列車の走る橋の下を潜ったりして、くねくねとした山道を行き、大原三千院などへと登る道の入り口に近いバスターミナルに到着した。その道を徒歩で登りながら、右側を流れる比較的綺麗な水の流れを自分の袂に感じながら、和男は自分の人生の中でついた灰汁とか滓も全てそこに流していまいたかった。勿論あまりにも自責の念に駆られる過去があったわけではない。しかし幾つかの胸を未だに痛めさせる思い出もないではなかった。それくらい誰にだって後悔という形まで行かないまでも持ち合わせていることだろう、そう和男は思った。しかしそんな風に他人も恐らく、などと考えることに今意味はない。まず自分である。
 十二三分で三千院の表玄関の下まで辿り着き、初めにまず勝林院に入った。三百円と安い拝観料である。その本堂の奥にある杉林も惹き込まれる雰囲気があった。本堂の屋根の裏にある木彫の細工がよく見える箇所に椅子が置かれてあった。