Tuesday, September 29, 2009

ひょんなことから誘われて行ったクラブで(2)

 和男は茜という名を聞いて、改めて彼女の着ていたドレスを見たら、真っ赤な色だったので、自分の好きな色が赤であることを思うと、それだけで好感を抱かずにはおれなかったが、それだけでなく、彼女が小さなワッペンのようなものを肩の近くに貼っていたが、それをよく見ると、ビートルズの四人の顔があしらってあったので、興味を抱き
「茜さんの肩に張ってある奴、ビートルズのワッペンみたいだけれど、あなたの世代でビートルズって言ってもあまりぴんと来ないんじゃないかって思うけれど、好きなの?」 
と聞いたら、芝沢が代わりに
「茜ちゃんは大のビートルズファンなんだよ」
と言った。和男が
「そうなの?」
と聞くと
「そうなんです。私がファンだってことを知っていて、あるお客さんがロンドンのCDショップでこれをビートルズのCDを今度出たデジタルリマスターズを買った時に、偶然その店でワッペンをサーヴィスでビートルズを買ったお客さんにだけ配っていたらしいんです」
と答えた。
「茜ちゃんは、ビートルズのいつ頃が一番好きなの?」
と和男はグラスのジンを啜りながら更に興味を抱いたように聞いてきた。
「私は<フォーセール>や<ヘルプ>や<ラバーソウル>くらいが一番好きですね」
と答えた。要するに1964年から65年くらいの時期である。この時期に彼らは「アイル・フォロー・ザ・サン」「イエスタデー」「涙の乗車券」や「ガール」「ミッシェル」「イン・マイ・ライフ」といった普及の名作を世の送り出していた。
「そうなの。茜さんらしいね」
と和男は何が茜らしいのかよく分からないが、そういう感じがよく似合っていると思ってそう言った。
「河合社長さんはどの時期がお好きなんですか?」
と茜が珍しく聞いてきたので、和男は
「そうだね。<マジカル・ミステリー・ツアー>あたりから<ホワイト・アルバム>からそれ以降は殆ど全部好きだね。尤もそれ以外の時期も全部好きだけれどね。特にね」
「まあ、渋めなのがお好きなのね」
とくすっと笑いながら茜はそう応えた。
 それを聞いて芝沢が前の店で和男がグラフィックな画像処理の仕事をしているということを芝沢に告げていたので
「河合さんは凄い芸術家先生なんだよ」
と言った。それを聞いて和男は
「止めてくれよ、芸術家なんて」
と言った。それにしてもこの茜という女性はよく顔を見ると、なかなかコケティッシュな表情をしている。ちょっと上目使いの目つきが特にたまらない。それに少し三十路を過ぎているくらいに見えるが、もっと若いかも知れないし、もう少しいっているかも知れない。そういうミステリアスなところがまたいい。
 しかし彼女の顔を眺めながらふと和男は菊池真理のことを思い出していた。あの時結婚しているかという質問に「ご想像にお任せしますわ」と言ったその真意は一体何だったのだろうか?和男はそう思った。そこで和男はいい機会だから若い女性から見て超中年である自分のような男性のことをどう思うかそれとなく聞いてみようと思った。つまり魅力ある男性ということに対する像は、同性である男性からよりも、異性である女性から見た像の方が説得力がある場合が多いと思ったからである。こういう時にさり気なく男性が本音から知りたいと思う女性の心理を聴くということは、なかなかタイミングが難しいのである。しかし今ここだという風に和男は踏んだのだった。つまり茜のその時の表情がもっと何でも聞いてきてというそういう風に訴えているように少なくとも和男にはそう思えたのである。

Sunday, September 27, 2009

ひょんなことから誘われて行ったクラブで(1)

 和男は芝沢が停めたタクシーの運転手に助手席の扉を開けるように目と手で促し、助手席に芝沢が乗り込んだのを見届けてから、開いた後ろのドアから後部座席に乗り込んだ。
 芝沢は運転手に自分の言われた通りに道路を走ってくれと言い、彼が和男を連れて行く積もりのクラブのある方向で運転手に車を出させた。そのタクシーの会社から察して、彼が和男を連れて行こうとしている場所を運ちゃんが知らないだろうと踏んでのことだったようだ。
 事実、その店の名前を試しに告げた時運ちゃんは知らない様子だった。
 タクシーは十五分くらい走ってある交差点の脇の路肩に寄せて、芝沢の指示通りに停められた。最初先に入った店のある町から少し田舎の田畑の多い区域を通過して、隣の市に入って、五分くらい走った繁華街の真ん中くらいにその交差点はあった。二人はそのタクシーから降りて、ドア越しに芝沢が一万円札を一枚運ちゃんに渡すと、彼は「釣りは要らないから」と言って、「有難う御座います」と彼に告げた運ちゃんを後に和男を連れて歩いて行った。
 二人は交差点から南の方に向かって進む道路を少し歩いて、すぐ最初にぶつかる細い路地に右折した。そこで地味な色彩の看板が立てかけてある、路地に入って二三棟くらいお奥のある雑居ビルを裏口から入ると、中にすぐあったエレベーターで芝沢の誘導によって乗った。エレベーターは路地に置かれてあった立て看板と同じ店名の階で降りた。六階だった。
 エレベーターを降りると、すぐに店内だった。扉はなく、エレベーターを降りたところに店内が剥き出しになっていた。
 やや奥の席についていたクラブのママらしき中年女性が
 「あら、社長さん」
と言って、芝沢を店内の席に誘導した。
 「今日はお連れさんがいらっしゃるんですね」
と言って、和男を紹介して貰えるように芝沢を促した。それに応えて芝沢は
 「ご自分で事業をされていらっしゃる河合さんです。僕の大学時代の学友なんです」
と和男の方に向き直り、ママにそう言った。和男は握手を求めてきたママと握手をして
 「急に芝沢さんにお誘い頂きましたもので」
と一言添えた。クラブのママを紹介しようと、芝沢が
 「この店のオーナーの幸恵さんです」
と和男にそう言った。握手をし終えてから、幸恵は
 「今後もどうぞご贔屓に」
と言った。芝沢が
 「いつもの奴を」
と言うと、幸恵の隣に控えていた少し幸恵より若い感じのホステスに幸恵は
「きょうこちゃん、いつもの運んできて差し上げて」
と指示した。幸恵は年の頃三十八歳くらいで、それよりその「きょうこ」と呼ばれる女性は四五歳くらい若かった。幸恵に誘導されて席についた和男に幸恵は
 「今日は新人の茜ちゃんを先生のお隣に座らせて頂きます」
と言った。茜と呼ばれる女性は、更に三四歳くらい若く、菊池真理より二三歳くらい年長のように見えたが、女性というものも実年齢よりも老けて見える若い女性もいるし、逆に実年齢よりも若く見える人もいるので、一瞥だけで判断出来るものではないが、今日は芝沢の奢りなので、そういうことをいきなり質問することは憚られるので、話の成り行きに任せようと和男は思った。そう考えていると芝沢は「きょうこ」に指示したまま芝沢の隣に座って、「きょうこ」が運んできたジンのボトルからジンをグラスに注ぎ、氷を入れたデッキャンタから氷を二つ三つそこに入れて、掻き回した。手馴れた手付きで、既に芝沢の好みの飲み方を熟知しているようだった。そしてそれをし終える前にそうしながら「きょうこ」を茜とは反対の、端に座らせ
「先生はどうなさいますか」
と飲み方を聞いた。和男が
「芝沢さんと同じで結構です」
と返答すると、「きょうこ」が幸恵が芝沢にしたのと同じように和男のグラスを作った。和男が「きょうこ」の方に向かって
「きょうこ ってどういう字ですか?」
と聞くと彼女は
「杏という字です」
と答えた。そして今度は奥の隣に座る茜に和男は
「茜って、草冠に西でしょう?」
と聞くと、茜は
「そうです。先生よく分かりましたね」
と言った。和男は
「だって、茜って、固有名詞だったら、その書き方が一番標準的だからね」
と言った。

Thursday, September 24, 2009

偶然入った店で⑤

 それにしてもいきなり気まぐれに入った店で昔の知り合い、しかも学生時代の同級生に遭うという確立はどれくらいあるものだろうか?それだけでも奇遇と言っていいのではないかと和男は考えた。もう少しこういう時のために数学を勉強しておけばよかったと思った。そんなことを考えていると芝沢が
 「ところで俺が住んでいるところは割りと駅に近いんだけれどさ、その駅の改札口へ向かうエレベーターがおかくしくってさ、何たって、駅はたった二階なのに「二十一階です」って女性の声が言うんだぜ」
 といきなり話題を変えてそう言った。
 そう言われれば確かにそういうことっていうのは世の中にはしばしばある。本当は二階と言わねばならないところを誰かが間違えてアナウンスの台詞を指定してしまってそのままになっているのだろうか、と和男は思った。
 和男は若い頃街角で女性に誘われて一緒に木賃宿に泊まってセックスをしたことがあるが、その時彼女は別れたばかりの男性の名前をしきりにセックスの最中に叫んでいた。これが素人を最初に抱いた和男の初体験だったのだ。自分は別れた男性の肉体が今はもう拝むことの出来ないために誂えられた仮の代用品だという気持ちがした。それはエレベーターの本当は二階であるのに「二十一階です」とアナウンスする女性の声をそのままにしておく駅長の神経とよく似ている。
 「そうだ、河合、一度俺んちに遊びに来いよ」
 と生ビールを最後まで飲み干してそう言った。
 「別にいいけど、君には細君がいるんだろう?」
 と和男が聞くと、芝沢は
 「いやあ、彼女のことは気にしなくていいんだよ、彼女は趣味の集いとかで、あと主婦同士とかで色々と忙しいんだからさ」
 と応えた。和男は渋々
 「そうかい?」
 と再び返した。

 結局もう一杯ずつ生ビールを飲んで二人は店を出た。しかし和男はもう一軒行きたいと思っていなかったが、芝沢が
 「どうだ、俺の奢りでもう一軒、今度はもうちっとましな店へ行かないか?」
 と和男に聞いてきた。和男はあまり人の奢りで飲むのが好きではなかったが、余り熱心にそう芝沢が誘ってくるので
 「君のよく知っている店なのかい?」
と聞いたら、芝沢は
 「そうさ、昔よく仕事で利用させて貰った店なんだけれどね、ここら辺じゃ唯一のクラブなんだよ」
 と言った。
 「俺あんまりそういう店に昔から行ったことないんだけれど、要するにあれ、ホステスとかが接待する店なんだろう?」
 と聞くと、芝沢は
 「そうさ」
 と言った。和男は
 「高いんじゃないか?」
 と芝沢に聞いたが、向こうは羽振りがいいのかも知れない、あまり自分の趣味とか自分の懐事情に合わせて他人に聞くのもどうかとも一瞬思った。すると芝沢は
 「大丈夫、俺が持つからさ、そこに店にいい子が一人いるんだよ」
と和男に笑みを浮かべてそう言った。
 「幾つくらいの?」
と和男が尋ねると、芝沢は
 「二十七歳って言っていたけれどな」
と答えた。その時一瞬和男はここのところずっと気にかかってきていた菊池真理の顔が脳裏に浮かんだ。しかしそれはそれ、これはこれでいいのだろうと思い直し、向こうがあまり一緒に和男と行きたがったので
 「そうまで言うならつきあってあげてもいいけれど、でも俺そういう場所に行きなれていないから、あまり気の利いたことを女の子の前では言えないけれど、それでもいいのかい?」
と言ったら、笑い転げながら、芝沢は
 「バカだな、そういうところの女の子っていうのは、あまりそういう場所に行き慣れていて、遊びなれていない客に惹かれるもんなんだよ、特に二十代後半くらいの女の子はね」
と言った。その芝沢の言い方には妙に説得力があったが、そういうものなのだろうか、と一瞬納得しようかを思っていると、店から出て百メートルくらい歩いてきた時いきなり隣で話していた芝沢がそこを通る空のタクシーに手を挙げて停めさせた。

Monday, September 21, 2009

偶然入った店で④

 和男は一瞬振り返って入ってきた客の顔を見たが、普通の背広を着て、しかしネクタイはしていずに、マスターに向かって「よお」と一言かけ、その声に呼応してマスターが「毎度」と言ったのだけが印象的だった。その客の男性は、和男の二つ隣のカウンター席に座った。その二つ向こうに二人男性が談話しながら酒を飲んでいた。
 その男性は
 「じゃあ、僕も生ビールにしようかな」
 と和男が飲んでいた生ビールをちらりと覗きそう言った。それに即座に
 「はい、かしこまりました」
 とだけ応えて、マスターはジョッキにビールを注いで、その男性の前まで持ってきて、再び調理場へと戻った。
 和男は暫くその男性の横顔を見つめた。どこかで見たことがあるような顔つきだと一瞬そう思えたからだが、即座には思い出せなかった。そしてただの気のせいかと思い直し、再び生ビールのジョッキに口をつけていると、彼が
 「ああ、思い出した。河井君、河合君じゃないか?」
 といきなり和男に声を横からかけてきた。その時和男は一瞬何のことかと思ったが、その男性の方に向き直ってその顔を見てみた時大学生時代に同じクラスにいたある男性のことを思い出した。
 「芝沢君じゃないか?」
 と和男はその男性の名前をその瞬間条件反射的に思い出し、そう言った。するとその男性は
 「そうさ、ああ懐かしいな、何年ぶりだろう?」
 と言った。そうなのである。その男性は河井和男と同学年で、同じクラスの名簿にあった男性で、確か彼の記憶によれば、テニス部に在籍していた芝沢勝彦だった。
 「俺のこと覚えていてくれたのか」
と芝沢が言ったので、すっかり彼の方を向いて、和男は
 「そりゃ、覚えているさ。君は結構同学年の女子からもてたからな」
と言った。
 「そうだったかな、あんまり昔のことなんで忘れちまったことも多いけれどね」
と言った。確かに芝沢は結構女子からもてたという記憶が彼にはあった。
 「そういう河井君こそ今何をしていんだい?」
と芝沢が質問してきたので、和男は
 「まあ、ちょっとブログに関してデザインとかしているんだけれどね」
と返答してからすかさず
 「そういう君こそ今は何をしているんだい?」
と聞いた。すると芝沢は
 「いやあ、僕も自宅でパソコンを使って色々なことをしているんだけれどね。いやあ、でも奇遇だなあ」
と言った。
 和男の記憶では芝沢は確か九州の出だった筈だ。しかし今はきっと東京近辺に住んで仕事をしているのだろうとそう思った。そこで和男は
 「今はどこに住んでいるの?」
と質問すると彼は
 「隣の駅のすぐ近くさ。君は?」
と言ったので、和男は
 「僕もここから少し南の方だけれどね」
と返答した。
 それにしても住んでいるところさえ結構近くじゃないか、そういうことっていうのもあるんだな、とそう思った。
 昔から和男はあまり大勢の中で一緒に加わって色々と楽しむことがあまり好きではなかった。しかしこの芝沢は彼とは正反対で、寧ろ一人でいることよりも、いつも誰かと共に行動するのが好きなタイプだった。それだけはよく覚えている。和男は名刺を持たないので
 「僕は名刺を作っていないので」
と言ったら芝沢は
 「俺だって名刺なんて使わないさ」
と応えた。
 「ところで河井君は結婚はしているの?」
と芝沢が聞いてきたので和男は
 「いや、俺は昔付き合った女性がいたんだけれど、結局結婚までは行かなかったな、だから今でも独身さ。君の方はしたの?」
と聞いた。すると向こうは
 「うん結婚しているよ」
と言った。それに対して和男は
 「そうだろうね、僕みたいなのってあまりもういないかも知れないね」
と言った。すると芝沢は
 「そんなことないと思うよ、俺の知る限り君みたいに今でも独身の奴も結構いるぜ」
と言った。
 それにしても和男はその時久し振りに同級生と会うなんて、そういうことがそれまで全くなかったので、ただ懐かしいという気持ちがしていた。確かに社会に出ると、同世代とか同郷出身であるとかの繋がりは意識的に確保しておかなければなかなか維持出来るものではない。しかしこうやって偶然会うと、やはりそれはそれで日頃あまりそういう関係が希薄になっているだけに懐かしさも蘇ってくる。そうである。懐かしいという感情とは昔がその時蘇ってくるということなのだ、とそう和男は思った。
 「そうだ、俺の住所と電話番号を一応書いておくよ」
と言って芝沢は自分の背広の内ポケットからメモ帳を取り出し、その一ページ分をちぎって、そこに今住む住所と、携帯の番号を書き記し、それを和男に手渡した。
 それを見て和男は彼はマンション住まいではないということだけは分かった。

Friday, September 18, 2009

偶然入った店で③

 三つくらい席を空けて向こうに座る会社員らしき二人の男性はつい最近変わった政権について語り合っていた。二人とも三十代後半か四十代前半といったところだった。
 「今度の政権はどうなんだろうね?」
 と一人の会社員がそう言うと、
 「まあ、暫くは様子を見てみないと分からないけれど、前政権がどうしようもなかったから、何となくいいことをしてくれるっていう期待だけはさせてくれるけれどね」
 と言った。ここ数年もう毎年のように政権が変わり、首相の顔も変わっている。あまり一人の実力者が立て続けに政権を維持することもよくないが、こうも頻繁に代わるというのもあまり芳しいことではない、と誰もが思っていただろうから、その二人の会話はそういう庶民の感情を代表しているようにも聞き取れた。
 和男はその二人の会話内容を横耳で聞きながらそう思った。しかしそれにしてもまあ自分は時代の波に全く置いてけぼりにされたわけでもないし、だからと言って常に最前線を走っているわけでもない、しかしそのどちらでもないということが大半の人々の人生なのだろう、と和男は思った。横で話をしている二人には家庭はあるのだろうか、最近は男女とも結構いい年齢になるまで独身の人も多いし、かつてのように「身を固める」という意識が責務的なものではなくなってきている。それは端的に女性が社会において職場で男性と対等に働くようになったからである、とそう和男は思っている。そのこと自体はいいことだが、そのためにかつて日本女性が持っていた色々な家庭を守る裁量、あるいは様々な技術、裁縫とか料理とかそういう嗜みは大分今の女性には失われてしまっているとも思える。だからこれからは昔は女性が一手に引き受けてきていたことを男性も分担していくそういう時代なのである。そうも思った。
 ではアメリカとかイギリス、あるいはフランスといった国々では男性と女性の関係は昔からやはり変わったのだろうか、そういうことっていうのは、意外とあまり映画などを鑑賞しているだけでは情報として入ってこないものだな、と和男は思った。結局グローバリズムなどと言っても、所詮本当にそれらの国々が抱えている諸事情とか伝統的な意識、文化的な制約といったことは、対外的にはポーズ的に振舞うものなので、内実というものは伝わってこないものだな、と和男は思った。つまり端的にそれらの国々ことを本当に熟知し得るのには、まずそこで何年か住んでみなくてはならないのである。
 そのことは一個人である男性とか女性にも当て嵌まるのではないか。つまり本当に相互に知り合うためにはやはり一緒に暮らしてみなければ分からない。しかし一旦そうやって一緒に暮らすということはなかなか結婚以外ではあり得ないことの方が多い。するとやはり人生とは最初から何もかも理解出来るということ、誰をも理解しようと思うこと自体を諦めることからしか道は開けず、見えてもこないということを意味しているように、その時和男には思われた。
 和男はその時出された「するめミックス」がなかなか美味しかったので、またその店に来ようかな、とそう思って
 「美味しかったですよ、するめミックス」
 と言ったらマスターは
 「どうも有難う御座います」
 と言ってちょっとだけ頭を下げた。和男は先ほど出された生ビールを一杯空けてもう一杯同じものを頼んだ。そして二杯目を飲み始めたところで、がらりと扉を開ける音が聞こえ、中に和夫とさして変わりないくらいの年齢の中年男性が入ってきた。するとマスターが
 「へい、いらっしゃい」
 と常連が入ってきた時のような笑顔をその男性に注いだ。

Thursday, September 17, 2009

偶然入った店で②

 「お飲み物は何になさいますか?」
 とマスターが言ったので
 「そうだな、未だそんなに寒くもないから、生ビールにしようかな」
 と和男が言うと、彼は生ビールをレヴァーを引いて注いで、和男の前に差し出した。それを和男はまず一口だけ飲んだ。マスターはそれを横目で見ながら今度は予め解凍したまま入れておいたイカを、肢を一本一本と、胴体を横切りにして、それを天火で炙った。そしてそれをレタスと貝割れ大根と鰹節と和えてその上にマヨネーズを少し多めに醤油とドレッシングを少な目にかけてから、レモンを添え。そしてそれをカウンターに座る和男に 「はい、お待ちどう」と言って出した。
 和男はレモンを絞って上にかけてから、それを箸で一口入れて噛むとじわっとドレッシングとレモンの酸味が舌全体に広がった。そしてマヨネーズの味が全体を引き締めていた。
 「うん、これはいけるね」
 と和男は言った。
 「有難う御座います」
 とマスターは応えた。
 和男は再びビールをぐいっとまた一口飲み、するめミックスをもう一口放り込むと、改めて店内を見回した。結構薄汚れた壁だったが、そんなに昔からやっているという感じにも見えなかったので、マスターに
 「ここ始めてからどれくらいになるの?」
 と聞くと、彼は
 「丁度三年くらいですかね」
 と答えた。
 「ずっとこういう仕事をなさってきたんですか?」
 と和男が質問すると、マスターは
 「そうですね。ここに来る前はもうちょっと大きいチェーン店の居酒屋で働いていましたけれど」
 と言った。
 何の世界でもそれなりに下積みとか修行とか大変である。それもこれもやはり男が働くということは、女と幸せになるためなのか、それともいい仕事をするために女性と家庭を持ち、そこを癒しの場とするのだろうか?そんなことを一瞬和男は考えた。確かに自分は若い頃はいろいろあったけれど、結果的にはずっと独身のまま今日まで来てしまった。それはそれで別に構わないことなのかも知れないが、この男はそこら辺はどうなのだろう、と思って
 「マスターは結婚はされているの?」
 と親しみやすそうな感じだったので、聞いてみると
 「いや、今は一人ですよ」
 と言ったので、一瞬和男は
 「ということは?」
 と返すと、マスターは
 「三年前に別れました。つまりここで一人でやるようになり少し前にね」
 と言った。一瞬これは悪いことを聞いてしまったと思いもしたが、まあ相手は男性だからと思って
 「そりゃ、悪いことを聞きましたね」
 と即座に誤った。するとマスターは
 「いえいえ、まあ一人っていうのもそれなりに気楽だっていうことが、寧ろ別れてからよく分かりましたけれどね」
 と愛嬌のある笑顔でそう答えた。だが向こうからは和男にそういうことは一切聞いてこなかったので、和男からは一切そういうことは告白しなかった。
 和男の他にも既に二人連れの会社員らしき男性が少し離れたカウンターで飲んでいたが、それ以外には客はいなかった。
 「これからなの?客が多くなるのか?」
と和男が聞くと、マスターは
 「そうですね、内は六時半に開店ですから、八時くらいが一番多いですね」
と言った。
 「ここら辺の人は隣の市から会社に通っている人が殆どなので、意外と夕方よりも少し遅くなってからの方がお客さんは多いんですよ」
と説明を付け加えた。

Wednesday, September 16, 2009

偶然入った店で①

 翌日和男はいつものように八時半に仕事場のマンションに出向いた。出勤時間はずっと変わりない。菊池真理は必ず九時ジャストに出勤する。それも一度も変わりなかった。そしてまず昨日から今日までの間に届いたメールチェックをして、仕事関係のメールを報告し合うことから始まる。
 途中バスの中で和男は昨日きちんと真理が帰宅しただろうかと思った。そんなことを心配したってもう相手は大人なんだから仕方ないけれど、いい女は男性から注視される機会が多いだろう。だから昨日は酒は一滴も混入していなかったが、店に出た時既に八時半にはなっていた。外は真っ暗になっていた。帰宅したらもう既に九時は過ぎていただろう。
 しかし意外と気さくな態度の女性だということだけは昨日の誘いによって判明した、これは案外脈があるかも知れない、と久し振りに和男は胸を密かに高鳴らせていた。
 今日出勤してきた時どんな態度を彼女は取るのだろうか、と思った。

 暫く昨日した仕事のチェックをしていたら菊池真理が部屋に入ってきた。そして和男の顔を見るなり
 「昨日はどうもご馳走になりました」
 とそう言って上着を脱いで、壁に吊るしてあるハンガーにかけた。その時ちらっと彼女の胸元がくっきりとした形で露になったが、意外と形のいいバストだな、と和男は思った。そう思った瞬間の彼のペニスは一瞬くっとあの得も言われぬかつて味わった快感を思い出すのであるが、それは一瞬で又引っ込むようなものである。そうでなければこれから一日仕事が出来ない。
 しかしやはり昨日彼女を食事に誘ったことはよかったと思った。それまでよりは色々と彼女に聞きたいこと(仕事のこと)に関しても、新しいいいアイデアを捻り出すことにおいてもよりスムーズに行くようになったからである。
 結局その日はかなり仕事がそれまでのいつの日よりも捗った。そして七時近くになると、真理はタイムカードをパチンと押して帰宅していった。
 
 和男は暫く残務整理があって、先ほどまでしていたイラストレーターとテキストボックスでの作業を一旦終えて、顧客名簿をチェックし始めた。エクセルは正直菊池真理の方が巧みだったが、未だ彼女にも見せられない情報も彼のパソコンにはあったのだ。
 しかし意外とその日はあっさりと残務は処理されて、いつもより(だから前日真理を誘ったことは例外的なことだった)早く、和男は一人で街をぶらついてみようかと思った。
 
 夕方はもう大分涼しくなってきていた。そろそろ冬物も取り出した、逆に夏物は整理しておかなければならない。独身だとそういうことも気遣わねばならないのである。
 しかしたまには一人で酒を飲むのもいいな、と思って和男は駅の反対側(いつもは殆ど行くことがなかった)へ出向くことにした。そういう風にいつも通る道とは違うルートを探索してみる、ということは思わぬ発見に結びつくことが、とりわけクリエイティヴな作業には求められるものなのだ。
 しかしやはり駅の向こう側へと来てみるといつも自分が知っている反対側よりは閑散としているな、という印象を拭えない。しかし和男はそういう閑散とした駅周辺の雰囲気自体は昔からそう嫌いではなかった。
 一瞬木枯らしが吹き荒ぶ今目の前にしている閑散とした景色の中で真理と二人で歩いている時いきなり向こうから抱きついてこられる妄想を和男はしたのだった。すると途端に昨日彼女のことを思い浮かべながら扱いた自分のペニスに残存している快感が一気に押し寄せてきた。しかしそういった妄想が楽しいのは、端的に未だ彼女と何の関係もないからなのである。そのことは痛いほど和男は知っていた。
 つまり恋というものはそれが想像の範囲を超えない内は心ときめくものなのである。恐らく和男と同世代の男性たちは殆どもうそういう気持ちにさえなれなくなっているに違いない、とそう和男は思った。もし家庭があって、既に早く子供が生れていたのなら、そういう同世代の男性にとって異性に心ときめくということが、ややもすると家庭を崩壊させかねないということを直観する人間は多い筈だからである。
 
 それにしても今日はいつもと菊池真理から漂ってくる匂いが少し違う気がした。ひょっとしたら、和男は自分に対してこれまでとは違った意識の仕方をしているので、つける香水も変えたのではないか、と自分に都合のいいように再び妄想をし始めた。
 
 そうこうしている内にある一軒の赤提灯が目に飛び込んできた。周囲に色らしい色の殆どない情景でその提灯の赤い色が鮮やかに目に映ったのだ。
 和男は少し躊躇したが、一度も入ったことのない店にたまには入るっていうのもそんなに悪いことではないな、と思い直し、その店のガラス扉を開け、暖簾を潜って中へ身を入れていった。すると中から威勢のいい声で
 「へい、いらっしゃい」
 と未だ比較的若い年齢のマスターの声がした。そちらの方を見てみると、三十四五歳の血色のいい男性が頭に鉢巻をして焼き鳥を焼いていた。他には調理場には誰もいなかった。
 和男はカウンターに腰掛けて、暫く目の前に置かれてあったメニューを眺めてから、店の全体へと視線を移動させた。すると再び向こうから「するめミックス」という言葉が目に飛び込んできた。そしてマスターに
 「あれ、するめミックス下さい」
 と言ったら、マスターは
 「はい、するめミックス一丁」
 と言って、一瞬屈み込んで冷蔵庫からイカを取り出した。

Tuesday, September 15, 2009

今日はいいところまで行ったが、もっと先まで行かせねば

 二人は話に夢中になっていたので、コーヒーはいつの間にか空になっていた。そこで和男は
 「もう一杯コーヒー飲みませんか?」
 と言うと、真理は
 「あ、今度は私が頼みます」
 と言って、向こうにいるウエイターを呼んだ。そして空のコーヒーのカップを示して、「これと同じのをもう一杯ずつ」と言った。ウエイターは頭を下げて「はい、かしこまりました」とだけ言って下がって行った。
 その時和男は一瞬真理がボーイの方を仰ぎ見た時の少し上へ首筋を上げたその仕草にほんのりとした色気を感じた。一瞬だったが女を感じさせる仕草を彼女は無意識からだろうが、彼に晒したのである。その時和男は男性というものは、女性が心の中に着ている着物を自発的に脱いでいくかということを如何に巧く誘導していくかということで、勝負を決めるとそう思った。つまり一人自宅でマスターベーションしている時に想像している異性とは端的にただ彼に従順であるだけのお人形であればよい。しかし現物の女性とはそうは行かない。つまりそのそうは行かなさ自体が男に努力を差し向けさせるのだ。所詮男は女性の中で果てることだけが生き甲斐な、そういう生き物である。全ての生活上の努力、つまり知性を磨くことも、仕事の能力を向上させることも、周囲から人望を得ることも、出世することも所詮女の膣の中で精子をゆったりとした気持ちで放出するためになされる途上の行為でしかない。それらは目的ではない、手段にしか過ぎないのである。
 かつて女優の五月みどりが言っていた「男の人って女性の中で行く時って最高にいい顔をするのよ」という言葉は説得力がある。特に彼女のようにいい男の精子を沢山吸収してきた熟女の言葉だから。
 しかしだからこそその最高の人生に瞬間のために如何に男とは色々と我慢を多くしなければいけないのだ、とそう和男は思った。
 
 二人は今後の仕事全体のこととか、あまり私的ではないことを結局話して、二杯目のコーヒーが空になった頃、二人の真横にある窓から見られる景色が大分暗くなってきたので、いくらまだ日が長い九月初旬であれ、いつまでも女性を引き止めておくのもよくない(あまり何ても焦ってはいけない、真理はあくまで仕事仲間なのだ、とそう和男は思った)と思い、
 「そろそろ出ますか」
 と和男は言った。すると彼女は
 「そうですわね」
 と言い立ち上がろうとした。しかしその時和男は今日はもう一つだけ何か踏み込まなければ折角彼女を誘った意味がないと思い(しかし心の中ではもし二人が肉体関係を持ってしまったのなら、もうそれまでのように一緒に仕事仲間としてお互いに認識することが困難になる。だからもしそういう地点まで踏み込むのなら、その時は仕事上でのパートナーを別に用意しておく必要はあると考えていた)
 「どうですか、また今度は少しアルコールを入れてお話致しませんか?菊池さんはお酒の方はいける口なんですか?」
 と聞いた。すると真理は
 「ええ、以前は社の同僚たちとよく飲みに行きましたよ。カラオケも好きでしたね。社を辞めてからは全くそういう場所へは行かなくなりましたけれどね」
 と言った。
 二人はそう話しながら入り口近くにあるレジ近辺へ歩いて行ったが、彼女が財布を出そうとしたので、和男はそれを引き止めて自分の財布から紙幣を出してレジに入っていった店員に支払った。

 外に出るとすっかり周囲の景色が秋めいていた。ほんのりとした涼風も吹いている。今年の夏はしかしそれほど暑くはなかったから、仕事をするのには最適だったが、景気はあまり回復することには繋がらないだろうし、今年の冬は暖冬であるらしいから、また日本経済には打撃になるかも知れないと一瞬思ったが、隣に女性がいるのに、そんなことを考えていては失礼だと思い、和男は
 「タクシーを止めましょうか」
 と言った。そして真理が「そうですね」と言ったので和男は前方からやって来るタクシーを手を挙げて停めた。そして一万円札一枚と数枚の千円冊を二枚菊池真理に渡すと、
 「また明日もよろしくお願い致します」
 と言って彼女を後部座席に乗るように促した。すると真理は彼が渡した紙幣を悪びれずに受取りながら
 「今日はどうもご馳走様でした」
 と言って車の中に乗り込んだ。
 車の中から手を振る真理の姿が遠ざかっていくのを見届けてから、和男は駅の方へ向かって歩いて行った。そこからバスで帰宅するのだ。車も持っていたが、会社へ行く時にはいつも色々と考え事をするようなタイプの人間だったので、和男は一切私用以外ではセダンを利用することはなかった。いずれもっと親しくなっていったなら、真理との一件でも車が必要になる時も来るかも知れない、と漠然と駅へ向かいながら歩いている時和男はそう思った。
 和男は敢えて彼女の住所も聞いてはいない。和男は最初から面接した全ての女性の住所さえもメールで送信させた履歴書に記述させなかったのだ。男性一人で仕事をする中に一人女性が参加するわけだから、そういう配慮は必要だと思ったからである。
 しかしこれで明日からもっと仕事にも精を出してくれるだろうと今度は経営者然とした気分で和男はそう思ったが、意外と彼女は話せば話すほど性的な魔力のようなものを奥へ奥へと引っ込めさせるようなタイプだと思った。それは女性としては当然の嗜みなのかも知れないが、ある部分ではあまりそうさせないようにしないと、そのまま向こうの思うとおりにさせていると、ただの上司と部下の関係になっていってしまう、とそう和男は思った。
 
 その日和男はいつものようにはネット配信で見るアダルト動画など一切見ることなく、冷蔵庫に数日前に買って入れておいたワインを取り出してグラスに注ぐとちびりちびりと舐めるように飲みだした。
 そして彼女がボーイにコーヒーのお代わりを頼んだ時に顔をボーイの方に一瞬挙げたその首筋を思い出し、一緒にいた間中ずっと彼女が仄かに放っていた女性特有の匂いを全身で想起させながら、ズボンの上から自らの股間をさすり始めた。そしてやおら中から勃起したペニスを取り出し、扱き始めた。
 細心の工夫をしながら彼はいつも自分のペニスを弄ぶ。しかし本当に女性との間で得る快感に比べればずっと快楽指数的には高いが、実感的には空しさも付き纏う。しかしその日は久し振りに生の女性と対話した後でする自慰だった。
 和男は二十分くらい時間をかけて、真理の首筋の様子を思い出しながら、忙しくて最近あまりしていなかったためにたんまりと溜まっていた精子を自分の掌の中に生暖かい感触を味わいながら発射させ、暫くその匂いを顔に持っていき、嗅いだ。まるで春草のような匂いである。まだまだ俺は行ける、そう和男は思った。そして精子でべとべとになった掌を台所の蛇口で綺麗に洗った。
 何も動画一切を利用せずに射精したのはかなり久し振りのことだった。そうである。やはり生の女性を想像してする自慰は最高だ、そう和男は思った。 
 しかしいつまでもそれだけに留めておくのはいけない、もっと先へと進ませなければ、そう和男は思った。

Monday, September 14, 2009

今日することは今日の気分で決める3

 二人はボーイが運んできたペスカトーレを食べながら、日頃の仕事のことについて色々ああだった、こうだったと語り合った。和男は一切面接をした女性の住所さえ問わなかった。連絡先は全てメールアドレス、携帯の番号だけで連絡を取り合っていた。従って今一緒に食事をするこの女性の住所さえ知らない。だからこそ彼女が彼の事務所で働くようになってから初めてこういうところに招待したのである。しかし誘うまでは和男はこの女性が一体どこまで誘いに応じるか多少不安だったのだが、いざ誘ってから一緒に食事をしていると、意外に親しみの持てる性格の人だということも理解出来た。そう思えたこと自体今後の彼らにとって悪いことではない、とそう和男は思ったし、彼女も内心ではそう思っているのに違いないと彼は考えた。
 「社長は、映画とかご覧になりますか?」 
 そう半分以上ペスカトーレを食べ終わった時に彼女は和男に質問した。和男はそれに対して
 「そう、昔は好きだったんですけどね、最近はなかなかゆっくりそういうものを見る余裕がなくなってしまってね」
 と言った。すると菊池真理は
 「映画を出演俳優を目当てにご覧になる方ですか?それとも監督の名前でご覧になる方ですか?」
 と聞いてきた。その質問に対して和男は、俳優に対して許容範囲を広く取る監督、つまり俳優たちのアドリブに対して寛容なタイプの監督と、そうではなく一切監督の指示通りに動いてくれなければ我慢出来ないタイプの監督がいると思ってきたが、自分は果たして経営者としてはどちらのタイプなのだろう、と思った。尤もたった二人で仕事をしているだけなので、そんな比喩は当て嵌まらないかも知れないが、とも一瞬思った。
 「そうですね、それは俳優とか監督に拠りますね」
 と無難な返答をした。すると真理は
 「それもそうですね、好きな俳優ならそれを目当てに見るだろうし、監督が好きだったなら、それを目当てに見ますからね、普通」
 と彼の考えに合わせた。
 しかしこうやって話していると、この女性は一体何を考えているのかということを訝って、いつこういう誘いをかけるべきか考えていた頃に比べると急に中性的に感じられてしまうものである、そう和男は思った。尤も彼も自宅で一人でいる時時々はマスターべーションもしたが、ネット配信のアダルト動画をおかずにして抜いてきた。それを見ながら脳裏では菊池真理のことを考えずにしたことはあまりなかったと普段のことを思い返した。しかし実際の相手は常に違う反応をする。相手を妄想をする姿と相手自身とは常に全く別物である。  昔女優の五月みどりが「男の人って、女の中で行く時最高にいい顔をするのよ」と週刊誌で言っていたことを一瞬彼は思い出した。そうなのである。女性というものを五月みどりくらいいい熟女に仕立て上げて、男性にとって寛げるように持って行くこと自体も既に男性の側の力量なのである。それは相手が恋人であれ、妻であれ変わりないことである。だが今目前にいる女性は、果たしてそういう相手になり得る可能性なんてあるのかどうかさえ未だよく分からない。分からないからよく見えたり、そうでなかったりするだけだ。だが一体相手を分かるとはどういうことなのだろうか、とも和男は思った。
 二人はすっかりパスタを平らげたので、和男が
 「ここのコーヒーは意外と美味しいんですよ」
 と言ったら、真理は
 「それじゃあ、頂きましょう」
 と言った。そこで和男は向こうで立って客のリクエストに応じるために控えているボーイを呼び、アメリカンコーヒーを二人分注文した。
 「喫茶店とかにもよく行かれる方なんですか、社長は」
 と真理が聞いたので、和男は
 「時々読書をするために利用することがありますね、日曜日なんかにね」
 と答えた。すると彼女は
 「社長はどんな本がお好きなんですか?」
 と質問した。和男は即座に
 「そうですね、色々と読みますけれどね。企業小説も昔は好きだったけれど、やっぱり最近は少し年とったせいか、宗教関係の本なんかもよく読みますね」
 と答えた。すると更に真理は
 「やはり社長でも死ぬことなんて考えるんですか?」
 と聞いてきた。彼女との話題がそういう方向へ来るとは予想もしなかった。しかしそういう話をすることが出来る雰囲気とはそんなに悪いことではない、と和男は思って
 「まあ、たまにはね、だって誰だって一度は死にますからね。ただ二度と生き返れないし、二度と死ねないですからね」
 と答えた。
 「生きている内に好きなことしなければ損だって思いますか?」
 と更に真理は聞いてきた。和男は 
 「まあ、こんなことをしなければ損だとかそういう風には思わないけれど、自分なりにその時々でしたいことをしなければという風には思いますね」
 と言った。
 窓の外を見ると最早秋もそろそろ充実してきたのか、気がつかない内に大分暗くなっていた。
 「ここから菊池さんのご自宅は遠いんですか?」
 と和男が質問すると真理は
 「そんなでもないですよ。バスに乗ってちょっと行けばすぐです」
 とあっさり答えた。
 別に他意があって質問したわけではないが、一人で暮らしているのか、結婚しているのかも一切問わないで雇ったので、ここまで来たのだから、いっそもう少し立ち入った質問をしてみようと思い和男は
 「菊池さんはご結婚なさっておられるのですか?」
 と質問した。それに対して
 「どのように私って見えるのかしら?」
 と少し悪戯っぽくそう言ったので、和男は少し意外な気がした。しかし意外だという表情を彼女に和男が見せたので
 「まあ、ご想像にお任せ致しますわ」
 と笑いながら彼女はそう答えた。別にそれ以上詮索する必要などない。結婚していたって、それが和男を彼女を口説くことをやめさせる理由にもならないし、独身だからと言って相手を簡単に落とすことなど出来るわけでもない。でもまさかもう三十近いか、超えているように見えるから、処女というわけでもあるまい、と勝手にそのように和男は心の中で判断した。
 

Sunday, September 13, 2009

今日することは今日の気分で決める2

 和男は真理を連れていつも行っているあるレストランに行こうと思っていた。いつも行くと言っても、日曜日などに一人で街に買い物に行く時などに昼食用に利用していたレストランである。ちょっと小粋なイタリアンレストラン風だが、別に格別イタリア料理店というわけではないし、中にはカレーライスもあったりするが、ファミレスでもない店だった。店内の装飾も華美ではなく、落ち着いていたし、女性を初めて誘うには格好の店だと思ったのだ。
 和男と真理は東京都内で最も埼玉県に近接したある都市にある和男がたった一人でまず創業させた会社が借りるマンションの一室(四階にあった)からエレベーターで降りて、マンションのエントランスから二百メートルくらい歩いて突き当たる大通りから駅の方へ向かって歩いた。和男は同じこの町の外れの森の脇にあるマンションに一人暮らしなのである。そしてマンションのエントランスにある郵便受けに入っていたらある別のマンションの部屋の売り出しの広告を見て、創業と共にある銀行からお金を借りてその一室を借りることにしたのだった。 
 菊池真理は三十五人の応募者の中で最後に彼が面接した女性だった。女性だけをネットの自分のブログ(和男は自分の些細な日常をブログにしていたが、その中で彼が事業をするつもりなので、そこで働きたい女性を公募したのだ)で募ったら何と三十五人も応募してきたのだ。メールで履歴を送信するように彼はブログの中で指定していたのだ。そこで彼は一切学歴を問わず、まるでソニーの入社試験のように一切学歴を書かせない履歴書を予め応募者にブログによる指定でメール送信して応募させた。年齢さえ書かないように指定した。すると年齢は分からないわけだから、大体推定で言うと、六十代の女性から、十代後半の女性まで様々な年齢の女性が応募していたということが、実際に一人一人メールの遣り取りで約束した日時に女性が彼が既に購入していたマンションの一室に訪れた時に分かった。   
 一人一人応対して勤労意欲とか、自分との相性を確かめるということもそんなに楽は作業ではなかった。そして最後まで三四人くらい最終候補を決めていたが、最後に少し他の応募者よりも遅くメールで履歴書を送信してきた(彼は応募者を締め切らなかったのだ)菊池真理とマンションで応対した時に彼女で行こうとその時決めたのだった。殆ど直観的なことだった。年齢は恐らく二十代後半くらいから三十代前半くらいだろうと彼は思った。恐らく未だ三十五よりは少し若いだろうとだけは思った。しかしそんなことはそもそもそんなに大した問題ではない。やはり重要なこととは仕事を一緒にする相性だったのだ。だから別に本当にいいパートナーであり得るのなら六十代の女性でもよかった。尤も容姿はそんなにどうでもいいという判断基準ではなかったということは最初に述べたとおりである。 
 二人は七分くらい歩いたある四つ角で止まった。和男が 
 「その角の店ですよ」 
と言うと対して真理は
 「まあ素敵な店ですね」 
と言った。その言葉で迷うことなく和男はその店に真理を入れようと思った。 
 女性をエスコートすることに格段和男は慣れているわけでもないが、まあ年齢的なこともあって、それほど緊張した異性に接しなければいけないということでもなかったということだが、相手も相手で和男が結構年配者なので、逆に安心していたということもあったかも知れない。そうであるならちょっと悔しい気もするが、この年になっているのだから、そんなことを気にしていては何も始まるまいとも思った。 
 しかし女性とは男性の方から格別の関心がある姿を最初から晒すと一気に気持ちが離れていくそういう生き物である。だから最初から がっつかない ようにしなければならない。 
 そう言えばつい最近、確か関西だったように記憶しているが、電車の運転士が写メールで運転室から乗客の女性を写したということがニュースで報じられたことを和男は思い出した。あれからその運転士はどのような処分を受けたのだろう、と彼は思った。しかしマスコミとは最初何か報じる時にはこれ見よがしに視聴者の関心を惹くニュースを選ぶけれど、その後日談まできちんと報じることなど滅多にないと思った。そうなのである。マスコミとはそういう風に責任なんて一切取らないのである。 
 でもそういうことをしなければならないくらいにその恐らく若い運転士は異性というものに対しての関心を注ぐ機会がなかったのだろうか?ああいう仕事をする人たちはきっとかなり生活態度が真面目であることが外面的な印象から求められているから、ストレスもきっとかなり溜まっていたのだろう、と勝手に和男は思った。 
 しかしそんなことを考えている暇はない、今はとにかく真理とどれくらいコミュニケート出来るかということがその時の最大の問題だったのだ。真理が横に歩いている時微かに真理から漂ってくる薄化粧の香りが和男の鼻腔を実は先ほどからずっと刺激し続けていた。勿論そういう時に和男のペニスの先は昔似た匂いを発散させていた女性のことなどを無意識の内に思い出し、くっと固有の快感が押し寄せていた。未だ俺は十分女を抱けるとそういう時に和男は思うのだった。しかしそのことに真理自身は気づいていたのだろうか?そう和男は思った。
 二人はレストランに入ると、ボーイの誘導に任せて、禁煙席を二人の相槌で了解した彼の後に続いて歩いていくと、二階にあるその店から眺望出来る四つ角の見える小窓のある最も奥の、しかしそんなに暗くはない席に案内されて腰掛けた。二人とも小窓に接して座ることの出来るテーブルだった。真理の方を和男は奥に座らせた。 
 二人が席に着くと、直ぐにボーイが水とメニューを運んできた。 
 「おなか空いていますか?」 
と和男が尋ねると真理は 
 「ええ、少し」 
と応えた。
 「菊池さんは普段はどんなところでお召しあがりになるんですか?」
と和男が尋ねると真理は
 「そうですね、その時に拠りますけれど、以前勤めていた会社では皆でよく昼食時なんかは、ハンバーグの店に行きましたね」 
と気さくに答えた。 
 「私のところに来てからはどういうところに行かれたりしていたんですか?」  
と和男が聞くと彼女は 
 「そうですね、さっき通った道から見えた定食屋さんがあったでしょう?」 
と真理が言ったので、そう言えばあったと思い出し、和男は自分は入ったことがなかったが 
 「ああ、ありますね」 
と返答した。 
 和男は仕事をしながらでも、あまり意識を集中しなければいけない作業以外の時には仕事と関係のないことを妄想することも結構好きだったので、向かいのデスクで仕事をする真理と時々業務のことについて声をかける時以外では、密かに彼女の顔や首筋をちらりちらりと観察しては、色々な想像をしたりしていた。そして時には性的な妄想もするのだった。 
 しかしその時は実際に彼女を店に誘って、色々話してみようと思っていたし、また仕事を終えて疲れてもいたし、少々腹も減っていたので、彼女を脇に従えて歩いている時に鼻腔に突き刺さったあの感じ以外では、意外と和男は妄想を逞しくすることが出来なかった。しかしそれはいいことなのだろう、現実とは妄想よりもずっとあっさりとしているものなのだ、と思って和男は、その時にテーブルにやってきたボーイの 
 「お決まりですか?」 
という一言に続いて 
 「何か好きなものを頼んで下さい。私が出しますから」 と言うと真理は 
 「そうですか、ではお言葉に甘えさせて頂きまして、じゃあ、私はペスカトーレを頂きます」 
 と言った。その言葉を受けて和男は別に何でもよかったので、 
 「では、私も同じものを」 
 とボーイに言うと、彼は 
 「かしこまりました」 
とだけ言って下がって行った。

Saturday, September 12, 2009

今日することは今日の気分で決める

 河井和男はある意味ではかなり気分屋である。それは気難しいというのとも少し違う。それは今日することをそれまでの予定とか計画どおりにするという意味ではなく、あくまでその時その瞬間の気分を最大限に優先して決めるということである。勿論彼にも多少気難しい面もあったが、しかしそれは彼の全体からすればあくまで部分的なことでしかない。 
 彼が今している仕事はブロガーたちが簡単にブログを作ることが出来るために、必要なブログ制作会社から依頼されてするロゴのデザインとか写真を載せたりすることを手伝ったりすることだったが、要するに出来る限りあまり大勢の人と直に関わりを持たずに出来る仕事が何かないかと探した結果今のような仕事をするという状態になったのである。 
 さて目下の彼の関心は彼と二人で狭い部屋で仕事をしている菊池真理のことである。彼女は彼がネットで募集して応募してきた三十五人の女性の中から彼が選んだ女性である。パソコンの技能、とりわけイラストレーターの画像処理テクニックは、以前働いていた会社でのキャリアからも実証されている。しかしそれ以外の彼による彼女の採用基準ははっきり言って容姿である。そんなこと当然であると彼は思っている。 仕事は仕事と割り切ることが大切だと知っていながら、彼はたった二人でこんな狭いマンションの一室を借り切って仕事をしているのだ、仕事のパートナーとして採用する女性がいい女でないなんてそんなの間違っている、と彼は思っている。 
 必死に仕事をしながらもっと楽になりたい、と常に思って仕事をしてきたら、いつの間にか和男はいい年になっていた。もうすぐ五十なのである。常に先へ先へ意識を延ばして生きていたら、いつまで経っても今を楽しむことなど出来はしない。そう彼はある時期から考え始めた。今しかない、今を大切にするしかない、とそう思った時隣でいい女が仕事をしている。しかも無心で。 
 最後に女を抱いたのはいつのことだろう、そう思うと今日もそろそろ定時である夕方の五時近い。和男の下半身は少しずつ数年前に最後に抱いた女のことを思い出し、疼き始めた。 菊池真理の容姿は、髪の毛は中ぐらいまで伸ばし、昔のタイピストを思わせるブラインドタッチは見ていて気持ちがいい。顔もそんなに悪くない。寧ろ美形の方である。でもそんなに一目見て欲情を誘うタイプでもなさそうである。しかし女は確かに傍目からはなかなかその本質を掴むことは難しい。それくらいのことは和男は年齢的な意味からも考えることが出来る。 
 だからと言ってあまり他人を邪推することはよくないとも思う。つまり適度に警戒心を怠らずに、しかも相手をそれなりに信用する、これが彼のモットーである。 
 とにかく彼は今日これから仕事を終えてすることを全く計画など立てていなかった。仮に彼の場合立てていてもその通りになるっていうことは殆どない。そこでこの仕事に真理が入ってからそろそろ1ケ月になるので、一度くらいお茶にでも、相手が望めば一杯誘うっていうのもそんなに非常識ではないな、と思って彼は真理に尋ねた。 
 「菊池さん、今日は何かご予定が御座いますか?」 
 すると菊池真理は即座に 
 「と仰いますと?」
 と逆に質問してきた。和男は間髪を入れず
 「ええ、あなたがうちに来てくださってからもうそろそろ1ケ月です。どうでしょう、一度お茶でも飲んでお話致しませんか?」
 と言った。すると彼女は笑顔を見せて 
 「そうですね、そういうのも悪くないですわね」 
と意外なほどあっさりと彼の申し出を彼女は受け入れた。
 「そうですか、では私が時々行くあるレストランで美味しいコーヒーでも飲みましょうか」
 と和男は最初は少し緊張していた表情と声質を和らげて、咄嗟に彼女の座る椅子の後ろに回って彼女をエスコートするかのように彼女がデスクから立ち上がろうとするところを彼女を両肩を軽く両手でそっと支えた。 
 こういう時のために予めどういうところに女性を連れて行こうかなどと彼が考える筈がない。そうである、彼はいつも今日することは今日の気分で決めるのである。だからその時も口から出任せでは決してないが、そうかと言って前々から考えていてそう言ったのではなかった。