Monday, December 28, 2009

京都名刹を競演の後訪れる

 和男は自分の死について最近考えることが前よりは多くなった。五十近くなってそれは自然なことであろう。だがにもかかわらずその日のような性行為への執着も益々大きくなってきているようにも思える。それは死んだらもうそういうことは出来ないということに起因する。和男は下半身に残存していた微かな射精時の得も言われる快感の余韻をかみ締めながら、南禅寺水路閣やら禅林寺(永観堂)などを見て回ってから突如和男は大原の方に行きたくなった。そして蹴上駅まで一旦戻り、東西線でそこから烏丸御池まで乗りそこから烏丸線で国際会館まで地下鉄で行き、駅前バスターミナルから大原行きのバスに乗り込んだ。
 それにしてもセックスをした後にこうやって歩いて名刹を訪れるのは何と素晴らしい感覚なのだろう、と今更ながらに総一郎氏と君子夫人の夫婦に感謝の意を捧げていた。これから京都に訪れる度にこういうことがあったならどんなにいいだろう、とそう考えさえした。不謹慎かも知れないが、京都名刹などに訪れる心境それ自体はかなり性の愉悦に近いものがあるということが和男には実感された。
 確かに生殖に直接関わらない性とは虚しいとも言える。しかしその虚しさを贅沢に浪費すること自体は実は生きているということの証でもあるのだ。つまり虚しさを噛み締めることこそ生を性で満たすことから来る固有の快楽なのである。
 
 和男はバスに乗り込んでほどなく発車したバスから臨まれる車窓を眺めながら以前一度だけ訪れたことがあった大原だったのだが、その時感動したことを思い出していた。もう一度その日の気分では夕方に新幹線に乗り帰宅する前に一度訪問しておきたかったのだ。
 別所として知られる大原では天台宗の寺が主である。問跡寺院と呼ばれる皇族に生まれ天皇の御子として生を受けた大勢の人たちが皇位を継承し得ないことから昔から寺院と皇族との繋がりは大きかった。その一つなのが真言宗においては仁和寺であり大覚寺である。また浄土宗では先ほど和男が訪れた禅林寺もそうだし、知恩院などがそうである。そしてこれから訪れる三千院がまさにそうである。
 ウィキペディアに拠ると天台門跡としての三千院として次のように記述されている。

三千院は天台三門跡の中でも最も歴史が古く、最澄が延暦7年(788年)、比叡山延暦寺を開いた時に、東塔南谷(比叡山内の地区名)に自刻の薬師如来像を本尊とする「円融房」を開創したのがその起源という。円融房のそばに大きな梨の木があったため、後に「梨本門跡」の別称が生まれた。

比叡山内の寺院の多くは、山麓の平地に「里坊」と呼ばれる拠点をもっていた。860年(貞観2年)、清和天皇の命により、承雲和尚が比叡山の山麓の東坂本(現・大津市坂本)に円融房の里坊を設けた。この里坊を「円徳院」と称し、山上の寺院を「円融房」と称したという説と、「円徳院」と「円融房」は別個の寺院だとする説とがある。

1118年(元永元年)、堀河天皇第二皇子(第三皇子とも)の最雲法親王が入寺したのが、当寺に皇室子弟が入寺した初めである。以後、歴代の住持として皇室や摂関家の子弟が入寺し、歴史上名高い護良親王も入寺したことがある。坂本の円融房には加持(かじ、密教の修法)に用いる井戸(加持井)があったことから、寺を「梶井宮」と称するようになったという。最雲法親王は1156年(保元元年)、天台座主(てんだいざす、天台宗の最高の地位)に任命された。同じ年、比叡山の北方の大原(現在の京都市左京区大原)に梶井門跡の政所(まんどころ)が設置された。これは、大原に住みついた念仏行者を取り締まり、大原にそれ以前からあった来迎院、勝林院などの寺院を管理するために設置されたものである。

Wednesday, December 16, 2009

競演が終われば

 和男はそういうほんの一瞬の愉悦のためにのみ人はピストン運動や全身に汗をかくことを好んでするのだな、といつも性行為の後にそう思う。
 彼はその種の行為の事後起こる固有の虚脱感、虚しさ、倦怠が好きだった。何とも言えない空虚感がたまらなく好きなのである。何故なら性行為の後ほど人間は哲学的になれる瞬間などそうあるものではないからである。
 恐らくどんなに哲学的センスのない奴でもセックスをした後は必ず一瞬哲学的気持ちになるだろう、そう和男はその時も思った。
 さっきまで勃起し続けてきていた彼のペニスは元の通りに次第に収束していった。それを認めるや一回だけ君子は和男の仕舞い込まれていくペニスに唇を窄めてキスをした。和男のペニスは一瞬それに反応したが、再び勃起へと至ることを和男の意志が抑制した。きりがない。もう車の中で二回果てているのである。
 総一郎氏もペニスをズボンの中に仕舞い込み、君子が徐々にそこに来るまで身につけていた衣類を付け始めると、優しく彼女の髪の毛と頭を撫でて、項にそっとキスをした。夫婦の愉悦を手伝った形だった和男だが、後悔はなかった。いいものを見せて貰ったと思った。そういう機会を得ることで和男はまるで二十代の青年に戻っていくことは出来たように思えた。
 車の中は女の体液と男の精子の匂いに充満していた。君子は運転席にきちんと戻って一瞬足を上げてパンティーを上まで持っていき、それを深々と履くと、座り直し、サイドの窓ガラスを脇のボタンを押して開けた。外の空気は先ほどまでは締め切られていた側かも入ってきて、その時に充満していた三人の競演の空気を徐々に外気へと同化させていった。
 和男のペニスは満足しきっていた。尿道の辺りにむず痒くくすぐったい、あの固有の感じが先ほどまで自分が他の二人と共に快を求めていたことを証明している。
 辺りは急に晴れ渡ってきた。まるで三人の門出を祝っているかのようだった。
 その瞬間から徐々に少し離れた通りから聞こえる観光客の一群の立てる音が聞こえ出した。それまでは熱中していたので、一切の音が遮断されていたからだ。
 和男は
「二日間色々とお世話になりました。いい思い出が京都で出来ました」
と言って、その車から降りようとして、総一郎が再び性行為を終えて、座っていた車椅子を車から遠ざけるように目配せして、ドアを開けて外に出た。
「もうお帰りになられるんだったら、駅まで君子に送らせますよ」
と気を利かせてそう言ったが、また二人になると妙な気持ちにならないとも限らない。そこまで他人の夫人を巻き込むわけにもいかない、もう十分満喫させて頂いた、そう和男は思っていた。これは京都流のもてなしかも知れない、そうも思った。
「いや、私少し別の名刹も見てから今日夕方新幹線で帰宅することに致しますので」
と言って、車で京都駅まで妻に送らせようとした総一郎氏の好意を遠慮した。総一郎氏は
「そうですな、折角こちらにいらしたんだから、もっと色々と回られて心行くまで味わってからお帰りになられた方がええですな」
と、納得していた。
 和男は車の運転席にいる君子に会釈して総一郎にも深くお辞儀をしてその場を立ち去った。そして南禅寺の方へと向かって行った。

Saturday, December 12, 2009

翌日の本格的な競演(9)

 世の中にはたった三回しかセックスしていないのに六人の子供を授かった夫婦もあれば、千回セックスしても一人の子供も授かれない夫婦もあるだろう。その場合性行為そのものの持つ意味はまるで異なったものかも知れない。だが性そのものは回数とか儲けた子供の数で推し量れるものではないし、増してや複数の異性と一回ずつセックスをしてきた人と一人の異性と一回だけのセックスをして生涯を添い遂げた人とどちらが幸福であるかなど言い得るものではない。つまり全ての人が違うように、全ての人にとって性のあり方とは全く異なった意味を持っている。
 しかしそのことはあくまで客観的なことであり、その時の和男にとってはどうでもいいことであった。和男は君子がどういう行為に出るかだけを注視していた。
 全てのぺニスによる動きを男性郡がし終えた後、おもむろに窓の外の車椅子から半身を持ち上げていた総一郎と、総一郎が果てる前に必死に彼女を後ろから抱いていた和男の方に向き直って、自らの上気した乳房を晒して、今度は二人の男性のし終えた後のペニス、尤も夫の総一郎のものは今しがた果てた後だったので決して未だ萎みきってはいなかったものの、和男のものは今しがた目の前で他人の妻にその夫が後ろから車の窓越しにペニスを突立てるさまを眺めていたものだからすっかり自分自身で臨戦態勢であった時の威勢を失ってはいたものだからそれを慮って君子は早々に夫のペニスを舐め上げて、綺麗に尿道周辺に付着していた精子を唇と舌で拭き取ると今度は他人の和男のペニスを舐め上げて昨日のようにフェラチオをし始めた。いざそうされると即座に勃起した和男はそのさまで自分が未だそう衰えてはいないということを自覚せざるを得なかった。
 和男はまるで自分がそれまで他人の夫婦同士の殆ど変態的でさえある睦み事を観察していたことの褒美に自分のものを舐められているような意識にあった。
 和男は素早く自分のペニスを口元に含み、すっかり怒張したそれを再びすっきりさせようとしているこの君子という女性のしたたかさと配慮に行き届いていることに恐れ入っていた。ここまで微に入り細に入り配慮の行き届いた中年女性というものもそういるものではない。このことこそ未だ十分妊娠して子供を儲けることが可能であるが、同時に自分よりも年長の男性に対しても、恐らく和男よりもずっと若い男性に対してさえ同様に配慮出来るであろう、要するに最も人間的に旬な女性である、それは年齢的にもそうであるが、ある意味では彼女の年齢の全ての女性が決してそういう風にまでは行くまいと思わせるそれだけの度量があった。
 和男は相手のサーヴィスにすっかり安心しきって任せているとある瞬間途端に下半身に先ほど後ろから君子のコンの中にたっぷり精子を注入した時と似たあの固有の絶頂感を得ていた。今日はもうこれは自分で抜いた分を含めると三回も射精している。これ以上和男は明日の仕事のことも考えると、控えておいた方がいいとさえ思えてきた。しかし未だやっと十時になるかならないかの時間であることを何気なくちらと見た自分の腕時計を見て和男は悟った。
 君子は
「和男さんも総一郎さんと負けず劣らず優しいおちんちんの持ち主ですわね」
と言って、自らの中にたっぷりと含みこんだ彼の意気のいい精子を少しだけ唇の外に出して見せて、再びそれを一気に自分の舌の中に含み込ませて飲み込んだ。
 和男は嬉しかった。そして最早そうやって自分の妻が他人のペニスを頬張っていること自体を容認していること自体に平気で対応しているこの中年ではあるが未だ未だ十分異性の目を惹くに値する魅力の女性のもてなしを受けることを積極的に受け入れている自分自身に対して我ながら大胆にもてなしを受けている、そう感じていた。

Tuesday, December 8, 2009

翌日の本格的な競演(8)

 和男は自分があまり幸福ではないと思えるくらいには幸福だった。何故なら自分が幸福であると思って悲惨な生活状況の人は大勢いるし、不幸であると思える内は未だ未来がある証拠だから、心底不幸ではないと言えるからだ。そしてその時和男は自分が立たされている状況を間違っても幸福であるなどと思いもしなかったものの、あまり即座に逃げ出したいなどとも思わなかった。それはある意味では変態的ではあるが、奇妙に人間臭のする京都在住の壮年と中年の夫婦の姿態を仰ぎ見ることがまんざら社会勉強的意味合いから無意味ではないと感じていたからである。
 しかし先ほど多くの汁を滴らせて和男からのクンニを求めた君子のワギナから発せられた匂いは石榴のような匂いと、鰹節のような匂いが入り混じった感じだった。そして自分の精子が彼女の膣の中にぶっ放された時そこからとろりと滴る匂いは自分でもよく知っている匂いだった。それはチーズを嗅いだ時に匂う感じと、栗を嗅いだときに匂う感じが入り混じっていた。しかし他人の太いペニスがずんずんその時目の前で自分の体の上を跨いだ妻の君子に対して夫の壮年男性総一郎が突き立てるさまは、その果てに彼の精子がやはり後続者として妻の膣壁にぶっ放されることを想像すると、その時どんな匂いが放つのかそれは少し不安だった。他人の精子の匂いを嗅ぐことはあまりないからだ。
 しかしよくいる未だ乳離れしていないような感じの青年と一緒に話をしている時に匂うあの匂いに近いものが他人の精子にはあるのかも知れない、とそう和男は思った。
 本当は先ほど自分が彼女の膣の中で果てた時に既に彼の役割は終了している筈なのだから、そこから退散してもよかったのだが、何せ体勢が体勢である。最後まで夫婦の奇妙な格好のセックスを見守るしかその時はしようもなかった。
 格好が格好なので、一度も和男は君子の豊かな乳房を鷲掴みにすることなど出来なかったし、それはその時の総一郎御仁にしても同じである。
 総一郎氏は少しずつピストン運動を加速し始めた。そしてやおら「おおっ」と声を発して、一瞬体全体を身震いさせてから妻のコンの中にたっぷりと自分のザーメンを注ぎ入れた。妻はその瞬間
「あなた、総一郎さんの優しくて硬いおちんちんからいいものが出て来る」
と言った。
 その瞬間、夫婦の奇声を誰か周囲の人が聞き耳を立ててはいないかどうか和男は内心心配だった。しかし少しずつ晴れ渡ってきていたその日、その場所に訪れる人はいなかった。予め君子はそのことを知っていた、最初からそこに来る積もりだったのだ。すると南禅寺でのあの彼女のしまったという一言はあたかも偶然そこを発見したということにしておくための巧妙な芝居だったのかも知れない。いやその場所に後から夫が駆けつけたわけであるから、当然それは予め全て仕組まれていたことだったのだ。すると昨日の例の君子による客用の寝室でのフェラチオもそうだし、夫もどこから覗き見ていたのに違いなかった。
 和男は静かに妻のコンからペニスを抜き取った時、総一郎の赤銅色のペニスが意外と年齢の割りにはしっかりとした一物であることを見て取った。そしてその膣内の液体に塗れたぬるりとしたペニスを見て、後からそこに滴る精子を確認したかった。少し待っているとフロントガラスに項垂れている君子の体が呼吸の度に少しずつ動いていたのだが、彼女の膣から垂れてきた精子は意外と和男のとそう変わりない元気そうなものだった。
 もし妊娠してしまったらどうする気なのか、そう和男は思った。DNA鑑定して貰い、自分の子なのか、夫の子なのか確認して貰わなければならない。あるいは子どもなどできはしない体なので、こういうプレイをした、あるいはよくこういう風に誰か特定のその気のある旅行者を掴まえては楽しんできていたのかも知れない、そう和男は思った。

Monday, December 7, 2009

翌日の本格的な競演(7)

 和男は君子の言う古い知り合いの意味がよく本当は分からなかった。
「そういうお友達の方が君子さんにはいらっしゃるんですね?」
と和男が聞き返すと君子は
「そうですわね。いますわね。昨日言ったその友人の女の方です」
と言った。
 車が南禅寺の境内に入って、駐車場が正門の手前にあることを君子が思い出すと一瞬しまったという表情を示したが、すぐに「そうだこっちに停めよう」と小声で頷いてから彼女は車を建仁寺の方へと向かわせず、そのまま平安神宮の方へと直進していって、雑木林のようなものが見える行き止まりの路地に車を入れた。そこには誰も歩行していない死角のような場所だった。
「昔は昔、今は今ですわよ」
君子は車を停めてハンドルから手を外して溜息を一回大きくつくと、左手を和男の腿の辺りに置いた。そして
「友達も大事ですけれど、一見の間柄も大事ですわね」
と言って、和男の脛と腿の間を昨日のように手で摩りながら往復した。和男は既に自分自身で一回その日は浴槽から立ち上がって抜いている。しかしそんなことはその瞬間にはどうでもよくなっている。
「やっぱり僕たちは一見の間柄だけですかね?」
と君子に確かめるように和男は聞いた。和男はさっきの「私たち意外といい相性なのかも知れないですね」と言ったことに対する君子の「そうですよ、そう思わなかったんですか?」という返答の意味を考えながらそう質問したのである。
「それは未だ分かりません」
と君子は言いながら
「少しお黙りになっていて」
と言って、和男の太腿と股間に更にやんわりと、しかししっかりと刺激を与えながら、君子は次第に息遣いを荒くしながら押し殺したような呻き声をひっそりと発して、自らの右手で昨日のように最初右胸、そして左胸、そして往復させるように全体を掻き回すように揉みしだきながら、ブラウスの下の縁を捲り上げて上へ押し上げつつ、ブラジャーのホックを外し始めた。そういう時にしやすように、という配慮からかフロントホックブラだった。そして今度は左手を和男の既に怒張しきっていたペニスを掴み出そうとして和男のズボンのジッパーに手をかけた。和男は
「君子さん」
と声を漏らしていた。こうなることは既に車に二人で乗り込んだ時点で分かっていたではないか。しかしいざそうなってみるとやはり総一郎氏は既にこうなることを承知で二人をまず出かけさせたのだろうか、と和男はそう思った。
 君子は既にブラウスを首から外して脱いでいた。そして今度は履いていたスカートのジッパーを外して足を持ち上げて脱ぎ始めた。そして和男の勃起したペニスがトランクスから君子の左手によって探り出されて、露出した時、君子もまたスカートを足下から持ち上げ彼女の右手によってくしゃくしゃに丸め込まれ後部座席に投げ捨てられていた。君子はベージュのパンティーを履いていた。その他は何も最初から身につけていなかった。
「和男さん、優しいあなた」
と小声で囁きながら君子は和男の頬にキスをして、熱い吐息を和男の鼻先に吹きかけながら、和男の頬から耳元、そして項に至るまで丹念に唇で愛撫し始めた。そして再び彼女の唇が顔に戻って唇の上に重なってきた時に、彼女の左手は今度は彼の左方の腰を摩り、右手を勃起したペニスにピストン運動を加え始めた。ペニスの先端からはカウパー氏腺液がたっぷりと滲み出てきていた。これだけは若い頃からずっと変わりないことである。そして君子は
「ああ、和男さん、立派なおちんちん」
と言った。和男は思わず車の外を見回したが、一向に誰も歩いてなどいない。助けを求めるわけにもいかない。和男はリクライニングシートを最後部まで下げて後部座席へと移動させリラックスした姿勢に自らを持っていった。そうすると和男の勃起したペニスが寝かされるような格好になった。君子は和男の顔への愛撫を停止して今度は和男の寝かされた形のペニスへと顔を持っていった。そして最初カウパー氏腺液をちろりと舌で舐めて舌を一旦丸めると、今度はその舌を使ってペニス全体をゆっくりと口腔全体へと挿入させて、上下させ始めた。そしてそうしながら和男の遊んでいた右手を自分の先ほどまでペニスを掴んでいた右手で自分の股間の方へと誘導した。そしてベージュのパンティーをずり下ろすのを手伝わせた。君子は口腔内での和男の怒張した息子への上下運動を持続させながら、しきりに和男の手伝いを得て自分自身の足を上へ持ち上げ、パンティーを異物のようにしながら、それを脱ぎ捨て、ブレーキとアクセルペダルの下に足をもぞもぞさせながら脱ぎ捨てた。その時一瞬自分の右手を和男の右手による誘導を誘引した後元の位置に戻す時にクラクションを刺激して車はブーとけたたましい音を立てた。和男はその音に戦いたが、君子は一向に意に介していなかった。その証拠に一瞬たりとも休まずに和男のペニスにたっぷりと唾液で包み込みながら上下運動をさせ続けていたからだ。彼女の顔は和男の胴体の上でゆさゆさと上下運動をし続けた。そして次第にその上下する頭の先の髪の毛がほつれ出した時に、いきなりその上下運動を中断させて、和男の胴体の上の方に自らの胴体そのものを頭が車の天井のぶつからないように配慮しながら、持っていった。そして自らの左足を先ほどまで摩っていた和男の左方の腰の脇の助手席に乗せて、丁度自身のアヌスが和男の顔の上へ来るように持っていった。君子の顔はだから車のフロントガラスの方へと密着していた。顔をガラスに擦り付けてまで窮屈な格好をしながら、彼女は和男から自分の下半身をクンニリングスして貰うように要請したのだ。
 和男はその時改めて仰向けになった自分の顔の上方にあの固有の汗の匂いと女性の発散する固有の内分泌の匂いを強制されながら、目の前に展開する君子のアヌスとワギナを仰ぎ見た。その時まさに和男は君子のバルトリン腺液を滴らせた彼女のワギナが豊かな大陰唇をひらひらさせながら展開するさまを、「ハマグリ」と言うよりは「ぼぼ」、「ぼぼ」と言うよりは「めめじょ」と言う方が相応しいと密かに考えていた。「め・め・じょ」という響きがじんなりと濡れてぱっかりと左右に開いていたその膣口とそこから滴る愛液からぴったりに思えたからである。「ぼぼ」というとどこか閉じた姿をイメージさせる。しかしハマグリはぱっかりと開く直前をイメージさせる。そして「めめじょ」と言うと、一旦完全に開いたかと思うと呼吸と共にもう一度閉じようともするさまをイメージさせるからである。
「和男さんお願い」
と愛液を和男の顔へと滴り落としながら君子は自らの生殖器へのクンニリングスを求めた。和男は必死に顔中彼女の下半身に埋め込み、自分の鼻先から口元全てを君子の内分泌液に塗れさせていった。そして和男が十分君子への下半身の刺激を唇と舌で挙行した後、やおらに和男のペニスを掴んで、それを自らのワギナに挿入した。
 和男は一瞬
「うっ」
とうめき声を発し、自らの勃起したペニスがするりと彼女のワギナに挿入する様をまるで他人のセックスを覗き込むような感じで自らの顔の上を仰ぎ見た。しゅるるっと君子が和男のペニスを包み込む音が聞こえた。和男の尿道はこんもりと膨れ上がっていたので、君子のワギナにほどよい刺激を与え続けた。君子は次第に上下運動の、と言うより君子の体勢が前に屈み込んでいたので前後往復運動のようになっていたのだが、次第にスピードを増していった。
 どれくらい時間が経過していたのだろう?和男が既にお互いの汗が塗れてきゅっきゅっと音を立てていた時、勃起したペニスの緊張度が最高潮に達した時、自分の横たわる助手席のリクライニングシートの上方に、のそっと男性の姿が見えるとそれが何と車椅子に腰掛けて外から二人の痴態を覗いていた総一郎氏の顔だったのだ。
 和男は急いで全てを停止させようとしたが、君子は頑としてその体勢を崩そうとはしなかったし、あろうことか総一郎氏は和男に車の外から大きく口を開けて、言葉を読むように和男に表情で示した。そして口の形ははっきりと
「妻の中に射精してくれ」
と言っていた。それに応えるように君子は
「和男さん、中に出して頂戴」
と言った。そう君子が言った瞬間和男は既に我慢の限界に達していたのか、ずくっと溜まっていた精子が君子のワギナの内部へと一気に放出された。その瞬間和男は昨日の夜にも、今朝の浴槽での快感にはなかった究めつけの充足感を満喫していた。そして自分の精子が一部フロントガラスに顔を押し付けたまま失神しているかのように項垂れる君子の膣から滴り落ちてきたのを確認すると、未だ勃起状態を解除させないままのペニスをゆっくりと君子のワギナから抜き取った。
 すると総一郎氏は手で車の助手席の窓ガラスを開けるように和男に命じた。そして和男がそれに応じてガラスの下部にあるボタンを押すと、窓ガラスは開いた。そこから今度は少しだけ腰を持ち上げ、既に怒張しきっていた自らのペニスを和男の顔の上方に差し出して、和男の精子を吸収していた膣壁に向けて
「今度は俺だ」
と小声で呟きながら、少しだけ総一郎が挿入しやすくするために腰を助手席の窓ガラスの方へと向け変えた妻のワギナにぬるっと挿入していった。まさに和男が仰向けになっている助手席の上方でつい昨日知り合った夫婦の性行為を眺めることとなった。しかも総一郎氏は車の外から自分の妻が差し出すワギナに勃起したペニスを差し入れようとしているのだ。
「こんなことになってよかったんですか」
と済まなそうに聞く和男に対して総一郎氏は
「ええんじゃよ。第一俺はあなたの精子を殺すくらいに強い精子を妻に放つ自信があるんじゃよ。いやその自信を回復させてくれたのもあなたのおかげじゃよ」
と言った。その時同時くらいに君子は勃起した夫のペニスを受け入れながら
「あなた和男さんって優しいんですのよ、とっても」
と言った。それに対して即座に総一郎は
「おお、そうかそうか、よしよし」
と言って、自分の怒張したものをずんずんと君子のワギナに衝き立てて奥の方まで潜り込ませていた。

Saturday, December 5, 2009

翌日の本格的な競演(6)

 車を発進させながら、バックを振り返り、君子は車庫から車を出すと、今度は向きを変えて、下り坂をゆっくりと降りて行った。そして東山の景色が遠くに平安神宮とか御苑が見渡せる地点から徐々に近景の方が目立つ地点へと降りて行った時に、右折して南禅寺や建仁寺の方へと車を走らせながら、君子は臨席にいる和男に対して
「和男さんはどんな音楽を好まれるのですか?」
と聞いた。すると和男は
「いきなり何故そんな質問をなさるんですか?」
と言って、考え直したようにして
「そういう君子さんこそどういう音楽をお聴きになられるんですか?」
と聞くと、彼女は
「まあ、その時の気分によりますわね」
と言った。
「気分と言うと?」
と和男は聞きなおすと、彼女は
「和男さんは沈んだ時ってどういう音楽を聴きたいと思いますか?」
と尋ねた。すると和男は
「そうですね、その時にもよるけれど、何とか気分を立て直すことの出来る時には意外と激しい音楽とか、底抜けに楽しい音楽を聴きたいと思いますけれど、そうではない、要するにそういう風に立て直すことの出来ない時には何も聴かないでいるか、聴くとしても意外と更に沈んだ音楽を聴きたいと思いますね」
と返答した。すると君子は
「私もどちらかと言えばそうですね、和男さんが仰ることと似ていますよ」
と言った。すると和男は自分でもそう言うとは思わないような台詞でもある
「私たち意外といい相性なのかも知れないですね」
と言っていたのである。それは昨日の夜にあった寝室での一件を考え合わせると実に意味深な発言である。しかしそんなことを一向に頓着しない返答の仕方で君子は
「そうですよ、そう思わなかったんですか?」
と言ったのである。そしてその時の彼女の表情が先ほど台所に食器を片付けていた時に彼女と擦れ違ってその時彼に示した愉悦の笑顔に似ていた。それは誘っている風情の笑顔である。それくらい和男には理解出来る。
 そして和男は考えた。この女性は本質的に対人的に相手に期待を多くするタイプなのだろうか、と。つまりこう言える気が和男にはするからである。
 人間にはある部分においては二通りある。それは演劇的人生を歩むタイプ、そしてもう一つは絵画的人生を歩むタイプがある、ということだ。前者はあくまで他者に対して愛情をあまりかけないけれども、相手に対してそれが関心のある他者であるなら同性でも異性でも期待を多くする。それはその者がする仕事でもそうだし、自分への愛情と言うことにおいてもそうである。要するにかなりナルシスティックなタイプの愛情家である。
 しかし後者は前者のような鏡の前で自分の姿に見とれたりするような部分は皆無であるからアクター的ではない、寧ろ演出家タイプである。それも俳優を兼任しないようなタイプの演出家タイプ、脚本家タイプである。それは鏡の前で自分の姿に見とれないタイプである。そしてこのタイプは完全に他者に対して愛情が細やかではあるが、決して他者に対して期待し過ぎない、だから必然的に相手から竹箆返しを食らうことも少ない。つまり覚めたタイプの愛情家である。そして和男はどちらかと言うとそちらのタイプである、と自分でそう思っている。そして彼の父親は前者のタイプ、つまり演劇的人生のタイプだったと思っている。その部分では彼は母親から受け継いでいる。
 だから和男はある時期かなり既に肺癌で彼が三十台前半に死去している父親の存在が鬱陶しく感じたものだったが、思い出してみると、懐かしくもあるのである。
 つまりこの今隣に座って運転して「そうですよ、そう思わなかったんですか?」と言った女性がそのどちらのタイプなのだろうか、とそう思ったのである。
 何故なら人間はある部分では極めて近似的部分があるから親しくなれるのであるが、その親しさが持続し得るためには、尤もそれはそういう風に望んでも巧く行かないことも往々にしてあるのであるが、少なくとも長く付き合えるタイプとは近似的部分がありながら、真逆である部分も必要であるからだ。
 しかし今ここで重要なこととは、この女性は完全に人妻であるということだ。しかしそれにもかかわらず彼女は何か自分とこの私である和男との間の出会いがまるで運命でもあるようなことを示唆することをのうのうと言ってのけたのである。これは一体何を意味するのだろうか、そう和男は思った。そう思った時和男は君子の昨夜熟睡してしまう前までの濡れ濡った膣と大陰唇のン肉ビラの状態を想起していた。そしてその時の姿態の彼女と今冷静に運転している彼女の姿を何とか一つの像に結びつけようと努力していたのだが、ある部分ではどうしようもなくその二つがどんどん乖離していってしまうのであった。
 それは何故だろう、と和男は思った。その時はたと和男は気づいたことがある。それはこの女性は夫から得る愛情と、和男のような通りすがりの中年男性(とは言え彼の方は恐らく年長であるが)から得る愛情を巧く区別して両方手に入れるタイプではないか、と思ったのだ。そうするとある意味ではこの女性は和男自身と同じでその女版である絵画的人生、つまりアクター的ではない演出家、脚本家的人生の女性ということになる。
 しかしそうであればそれなりにこう解釈することも出来る。これから何が起きるかは分からないものの、きっと何かは起こる。そしてその後必ず和男は東京に戻るのである。もしそれ以上この奇妙な夫婦と何の関係もまく旅の恥は掻き捨て的な出来事であったとそれを只単なる過去であると処理していくような未来であるかも知れないし、あるいはそれとは逆に寧ろこのことを契機に和男とこの夫婦とが益々もっと深い関係へと結び付けられていくという未来であるかも知れない。それは和男にしてもこの女性もその夫も計り知れないことである。そう考えている最中に君子は再びこんなことを聞いてきた。
「多摩湖とか狭山湖には最近は行かれるのですか?」
 いきなり昨日彼等が語り合った内容に引き戻すことをするその女性の真意を測りかねるといった風情の口調で和男は
「そうですね、最近ある私と同学年だった大学時代の友人とばったり会って、そいつと共に一緒にクラブに出かけたんですけれど、そこから少し行った所にある奴の自宅は確かそっちの方だったな」
と言った。何故そんな彼女の知らない芝沢のことなんかをここで持ち出す必要があったのかと後でしまったと思った和男だったが、実際のところそこで出会った茜とかママの幸恵とか杏子、あるいはその三人と偶然まみえることになる以前に最大の関心であり、今でも明日はその顔を拝めることになるという意味で想起出来る菊池真理のことが念頭にあったので、そういう一連の偶発的な最近の出来事がぽろりとこの自分の私生活のことをよく知らない旅先での妖しい魅力と湛えた中年女性の質問にそう無意識の内に返答していたということは自分ではよく理解出来ることでもあったのだ。しかし意外にも君子はその芝沢のことである「大学時代の友人」という響きに関心を抱いて
「大学時代のお友達ですか、そういう古い知り合いって懐かしいものですわよね」
と言ったのだ。それは社交辞令的な物言いでは確かになかった。よく理解出来るという言い方だった。

Thursday, December 3, 2009

本格的な翌日の競演(5)

 和男は君子と二人でまず出かけるということが彼にとっても彼女にとっても何を意味するかに頭が一杯で、既に半ば怒張しかかっている自分のペニスを必死に鎮めようとして食事し終わった後の食器を台所まで戻している時にトイレから出てきた君子と瞳同士が接触し合うと、君子は僅かに笑みを和男に返したことをこれから起こることのサインと勝手に和男は受け取った。そして未だそういう気分になるのには早いと気を静めて応接間の壁にかけられたハンガーに吊るしてあったジャンパーを着込んで、君子が化粧をし終えてから車のところまで来て運転してくれるのをガレージ近くまで靴を履いて外の庭まで出て歩いていった。昨日は気づかなかったが、そこには昨日彼を総一郎氏が乗せてきてくれた車意外にもう一台別のセダンが置かれてあった。和男を乗せて君子が運転して出かけた後、それで総一郎氏は追いかけるのだろうか?
 そんなことを考えていながらも彼は庭に咲く色々な秋の花を観賞したりしながら、平安神宮とか御苑の相貌を眺めて色々なアングルから一眼レフを鞄から取り出し写した。
 しかし人生というものは何が起きるか分からないものである。ほんの一日前には見ず知らずの間柄であった一組の男女は泡沫ではあるにせよ、何らかの接触を持つということ自体が、初めからこちらから何もかも曝け出すという習慣自体のない和男のような関東人にとって極めて偶発的なことである。しかし人生とはこういう偶発的な出来事自体の連綿として連なりのことを言うのである。そういう風に考えればあるいはそれから起こり得ること全ても全て最初から決まっていたのかも知れないとさえ思えてくる。
 十分くらいしてから君子が程よい化粧をして中から出て来て、和男の待つガレージ近くまでやってきた。昨日とは少し違う匂いの香水だったような気がした。しかしそれも只気のせいかも知れない。
 君子が昨日自分を総一郎氏がそこまで乗せてきてくれたセダンの運転席に乗り込み、ガレージの外で待っている和男の下まで車を出した。そして和男は君子が誘導するままに彼女が開けてくれた助手席のドアを更にこじ開けて中に入った。さて始まった。これから君子は更に何か仕掛けてくるに違いない、そう思うとそれだけで和男は自らの亀頭が膨らんでくるのを妨げることが出来なかった。彼女は女優で言えば、そうである辻沢響江に似ているかも知れないし、スカーレット・ヨハンソンにも少し雰囲気が似ている。兎に角近くで(その時まさに彼女の息遣いそのものが直に確認出来る位置にいたのだが)彼女の気配を察していると、それだけで女性の色香に脳髄が痺れてくるような感触に和男は浸りきっていたのだ。