Thursday, September 24, 2009

偶然入った店で⑤

 それにしてもいきなり気まぐれに入った店で昔の知り合い、しかも学生時代の同級生に遭うという確立はどれくらいあるものだろうか?それだけでも奇遇と言っていいのではないかと和男は考えた。もう少しこういう時のために数学を勉強しておけばよかったと思った。そんなことを考えていると芝沢が
 「ところで俺が住んでいるところは割りと駅に近いんだけれどさ、その駅の改札口へ向かうエレベーターがおかくしくってさ、何たって、駅はたった二階なのに「二十一階です」って女性の声が言うんだぜ」
 といきなり話題を変えてそう言った。
 そう言われれば確かにそういうことっていうのは世の中にはしばしばある。本当は二階と言わねばならないところを誰かが間違えてアナウンスの台詞を指定してしまってそのままになっているのだろうか、と和男は思った。
 和男は若い頃街角で女性に誘われて一緒に木賃宿に泊まってセックスをしたことがあるが、その時彼女は別れたばかりの男性の名前をしきりにセックスの最中に叫んでいた。これが素人を最初に抱いた和男の初体験だったのだ。自分は別れた男性の肉体が今はもう拝むことの出来ないために誂えられた仮の代用品だという気持ちがした。それはエレベーターの本当は二階であるのに「二十一階です」とアナウンスする女性の声をそのままにしておく駅長の神経とよく似ている。
 「そうだ、河合、一度俺んちに遊びに来いよ」
 と生ビールを最後まで飲み干してそう言った。
 「別にいいけど、君には細君がいるんだろう?」
 と和男が聞くと、芝沢は
 「いやあ、彼女のことは気にしなくていいんだよ、彼女は趣味の集いとかで、あと主婦同士とかで色々と忙しいんだからさ」
 と応えた。和男は渋々
 「そうかい?」
 と再び返した。

 結局もう一杯ずつ生ビールを飲んで二人は店を出た。しかし和男はもう一軒行きたいと思っていなかったが、芝沢が
 「どうだ、俺の奢りでもう一軒、今度はもうちっとましな店へ行かないか?」
 と和男に聞いてきた。和男はあまり人の奢りで飲むのが好きではなかったが、余り熱心にそう芝沢が誘ってくるので
 「君のよく知っている店なのかい?」
と聞いたら、芝沢は
 「そうさ、昔よく仕事で利用させて貰った店なんだけれどね、ここら辺じゃ唯一のクラブなんだよ」
 と言った。
 「俺あんまりそういう店に昔から行ったことないんだけれど、要するにあれ、ホステスとかが接待する店なんだろう?」
 と聞くと、芝沢は
 「そうさ」
 と言った。和男は
 「高いんじゃないか?」
 と芝沢に聞いたが、向こうは羽振りがいいのかも知れない、あまり自分の趣味とか自分の懐事情に合わせて他人に聞くのもどうかとも一瞬思った。すると芝沢は
 「大丈夫、俺が持つからさ、そこに店にいい子が一人いるんだよ」
と和男に笑みを浮かべてそう言った。
 「幾つくらいの?」
と和男が尋ねると、芝沢は
 「二十七歳って言っていたけれどな」
と答えた。その時一瞬和男はここのところずっと気にかかってきていた菊池真理の顔が脳裏に浮かんだ。しかしそれはそれ、これはこれでいいのだろうと思い直し、向こうがあまり一緒に和男と行きたがったので
 「そうまで言うならつきあってあげてもいいけれど、でも俺そういう場所に行きなれていないから、あまり気の利いたことを女の子の前では言えないけれど、それでもいいのかい?」
と言ったら、笑い転げながら、芝沢は
 「バカだな、そういうところの女の子っていうのは、あまりそういう場所に行き慣れていて、遊びなれていない客に惹かれるもんなんだよ、特に二十代後半くらいの女の子はね」
と言った。その芝沢の言い方には妙に説得力があったが、そういうものなのだろうか、と一瞬納得しようかを思っていると、店から出て百メートルくらい歩いてきた時いきなり隣で話していた芝沢がそこを通る空のタクシーに手を挙げて停めさせた。

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