Saturday, October 24, 2009

萱場総一郎氏との出会い(6)

 和男はこの目の前で話す君子という女性が、大分年上のこの萱場総一郎という壮年男性とどういうセックスをしているのだろう、とそう想像し始めた。下半身不随ということが性生活にどのような影響を与えているのだろう、もしあまり巧くいっていないのだとしたら、この女性の性欲に対する対応をどうしているのだろう、とそう思った。
 和男は多くはネット配信で本番のシーンも時々見ていたが、それらは端的に視聴者に対する配慮から、余計に誇張した興奮を演じているだけであり、本当にそれくらいに振舞う女性はいないのではないかと若い頃はそう思っていたが、実際はそうではない、もっと凄い女性というものはいるということは、分かっていた。それくらいの経験は和男くらいの年齢の男性はある。
 しかし一番興味深いことには、性生活に飽きてしまった男性を夫に持つ妻が異様に性的魅力を湛えていて、そのことに対していい加減うんざりしている夫が、異様に子どもを可愛がる心理が和男には理解出来る気がした。
 つまりそれはこういうことである。まず亭主元気で留守がいい、という言葉の通り、そういう風にお金だけは有り余るくらいにある有閑マダム(懐かしい言葉である)なら、いつも夫が仕事で外出中に好き放題に趣味の集いで主婦同士で楽しんでいるくらいならいいが、ひどくなるとツバメを拵えて若い性のエキスを吸収したりしている。その妻の異様なり性欲に十分性的能力的にも好奇心からも対応出来る凄腕の夫でなければ、結局そういう妻の生態に持て余し気味になり、ついには妻を食うだけ食って空き放題に遊ぶメス豚のように思うようになる。つまりそういった妻に対するある種の諦めこそが自分の息子とか娘を溺愛するようになるということはあり得る。
 この夫婦には子どもはいるのだろうか、そう和男は思った。しかしそんな立ち入ったことを他人の家に上がり込んで聞くことも憚られる。向こうから話しださなければ失礼に当たると思った。
「もうこちら京都では何処か行かれないんですか?」
と君子が聞いてきたので、和男は
「いや、明日は日曜ですが、今日の午後には新幹線で向こうに戻るつもりだったんですけれど。仕事で写真を撮れればそれでもういいと思っていたんですけれど、ついお邪魔してしまって」
と言った。すると笑みを浮かべて、萱場総一郎はあろうことか
「どうだろう、河合さん、今日はここに泊まっていかれたら?」
とそう言い出したのだ。
「いやあ、そう言われましても、ご迷惑ではないですかね?」
と和男が言うと
「何、家には子どもがおらんので、結構広過ぎると常々思っておったものだからね、なあお前」
と総一郎氏は妻の君子にそう同意を求めると君子は
「そうですわね、あなた」
と言って、和男の方に向き直り
「どうです、主人の言うように今日は泊まっていってらっしゃいよ。明日何かご予定でも?」
と妙に色っぽい声でそう言った。その時一瞬和男は誰しも抱く変な想像をしてしまった。下半身不随の夫(しかし妙に色艶のいい男である、この萱場氏は)と若い妻と、働き盛りの中年男性である和男という組み合わせ。まあそれ以上は読者の想像にお任せする。
 和男は
「いえ、何もありませんけれど、今のところ」
とそう返答すると、君子と夫の総一郎氏は
「なら、泊まっていけばいい」
とそう声を合わせてそう言った。

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