Sunday, October 11, 2009

休日なのに仕事をしている午前中に京都で考えたこと③

 和男は本堂の中を見学し、霊宝館を見学して、特に霊宝館の中に設置されていた国宝に見とれた(阿弥陀三尊坐像、釈迦如来立像内納入品、十六羅漢図)後、和男は再び数枚、本堂、多宝塔、鐘楼を写真に収め、それを一度パソコンに入力して確認して、いい写真があると思ったので、清涼寺を後にした。そして次の目的地である大覚寺へと急いだ。一応京都へ来るまでの計画ではその日一日で全て目的を写真を撮り終えたら、新幹線でその日の夕方には帰宅するつもりだったからである。
 以前一度同じ順番で訪れたことがあったので、和男は十分くらいの徒歩時間の後大覚寺の入り口が見える地点まで来ていた。
 仏教的世界にはある種の癒し効果もある。特に先ほど見た後輪の前ににょきにょき出ている多くの手には汚いものを掴むことを我々に代わって行ってくれるという仏の思し召しでもある。しかしそれを見て癒される我々の行為は大勢の反逆的立場にあった僧侶や、革新的思想家の犠牲の下に成り立っているわけだから、それは和男のような幸福な時代に生れてきたデザイナーにとって今日は今日の気分で何をするかを決定するようなタイプの生き方自体が他の人々から白い目で見られないということからも、その恵まれ過ぎた時代の一員としての感謝の念をそれらの像の前でよく念じるということがそもそも重要なことなのだ、とそう思った。
 生きるということは、殺生をした生き物を食べて排泄をして、悲しければおいおいと泣き、時には淫らで汚らわしいことを想像しながら精液を射精することに他ならない。
 しかし今目の前にある大覚寺はまた清涼寺とも少し違う趣である。そもそも嵯峨天皇が開祖であるこの寺は皇族縁の寺だからである。大覚寺統のご本尊である。持明院統と南北朝時代には対峙してその後交代に天皇を出すことで手打ちにしたことで有名な寺である。大沢の池が見られる場所まで行くのには、くねくねと色々なものを見て行かなければならない。
 和男は寺の中から様々な角度から写真に境内の情景を収めた。その日は意外とあまり観光客が少なかったので、撮影するのには絶好のコンディションだった。新幹線で早朝にここまで来られたのは幸いだったのかも知れない。これからこういう場所を巡るのには、本当に訪れたい場所へと午前中の比較的早い時間帯に来るのがいい、とそう和男は思った。
 勅使門、心経殿、霊明殿などをカメラに収めてから、和男は寺を後にしようとして、出口へ向かっていると、数段降りるところに車椅子に座った壮年男性が下へ一人で降りられずに苦慮している姿に遭遇した。その時周囲に殆ど観光客は不在だったので、それを確認してから、和男は素早く近寄って行って、彼が車椅子で降りるのを手伝ってあげた。ちょっと上へ持ち上げたら難なく軽い体重のその男性を階段の下まで運ぶことが出来た。
「どうも大変すみませんでした」
と、壮年男性はそう和男に謝意を表した。そして続けて
「私実は車で来ているんですけれど、今日これから何か御用がないのであれば、どうでしょう、うちまでお越し下さいよ、私が運転する車で」
と言った。和男はその日特に予定は無かった。最初から清涼寺と大覚寺だけを撮ることが目的で、後は自由時間だったからである。
 入り口の反対側にロープが張ってある出口を出ると、壮年男性は名刺を和男に出して
「萱場総一郎と申します。私昔サーカスの曲芸団の一員だったんですけれど、ある日空中ブランコの時に下に転落して下半身不随になってしまったんですよ。幸い車だけは運転くらいなら何とか出来るものでから、移動はいつも一人で車なんです。どうですか、うちにいらっしゃいませんか?」
と簡潔にそう自分のことを説明し更に和男を自宅に勧誘した。和男は
「いやあ、今日は特に何も後予定はございませんけれど、いいんですか?」
と聞くと、萱場総一郎は
「ええ、勿論ですとも」
と笑顔でそう言った。ただ車椅子を階段の下まで一回運んだだけのことなのに、余程その時この萱場氏は嬉しかったのだろう、そう和男は思った。
 二人は寺の境内を出て程ないところにある駐車場まで和男は歩いて、萱場氏は電動の車をゆっくりと走らせて、歓談しながらそこまで行った。

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