Wednesday, October 7, 2009

休日なのに仕事をしている午前中に京都で考えたこと①

 翌日和男は土曜日だったので、休日だったのだが、菊池真理とは当然その日は社のオフィスで会うことはなかったが、そのことが却ってこれからどういう風に彼女と接していけばいいか色々思念することが出来た。しかもその日は以前から頼まれていた仕事のために、休日を利用して風景写真を撮らなければいけない日だったので仕事をしなければいけなかった。納期に間に合うようにあるブログ制作会社から、テンプレート選択の一つに風景写真を入れたパターンを制作するために敢えて向こうさんの注文で京都内の名所の風景写真を指定してきたのだ。そこで交通費向こう持ちということで、早朝の新幹線に東京から乗って京都に到着した後、彼の考えの内にあった清涼寺をまず訪問するつもりで、そこから山陰本線(通称嵯峨野線)内にある駅である嵯峨嵐山から歩いて七分くらいで現地に到着した。その日はかなりしぶとい残暑の日だった。幾ら顔から吹き出るハンカチを拭っても次から次へと汗が止まらなかった。その自分の汗の匂いを嗅ぎながら、昨日の女性三人の身体から発散される芳香を思い出していた。そして一瞬だが、自分が未だ若い頃に女性を抱きたいと思いながら学生時代卒業前に、ストリップ劇場の女性で童貞を失う頃まで下宿をしていたアパートでマスターベーションをしていた時に射精した時の自分の勢いのいい若い精子のことも思い出した。
 女性とは年齢とか個々の男性体験に従って発散する女性ホルモンの関係からか、それぞれ固有の体臭というものがある。それは近くで語り合うと自然と覚知し得る。
 特にこれから大勢の男性に接触していくことになる準備段階の年頃の女性と、かなり大勢の男性の精子を吸収してきた体験の持ち主とでは本質的に傍で彼の鼻腔を刺激してくる匂いが異なる。それぞれによさがあるが、幸恵とはクラブを出てから別れるまでに話した芝沢の話によると、現在は独身だが、以前はある実業家と三年間くらい結婚していたそうだし、その意味ではそれなりの体臭だったように思い出された。しかしよくその素性が知れないのはやはり茜だった。茜はどちらかと言うと、性体験そのものは豊富ではないかと思われる態度だったが、人数は恐らく幸恵ほどではないのではないか、とそんなに大勢の女性を相手にしてきたわけではない和男ではあったが、想像することだけは出来たと少なくとも彼はそう思った。
 つまり独身になった後経済力がある程度ある幸恵はかなり大勢の男性と単発的に交際してきた感じだったが、茜に関しては年齢は彼女より恐らくかなり上であろうが、そういうパトロンの男性にねちっこく愛されてきた、そんな感じを彼女の隣で語り合っている時にその芳香が彼の鼻腔を刺激した時のことを思い出し想像した。
 ところで服を着た姿を眺めながらその女性の裸を想像して、特にセックスをしている時の姿態(痴態と言ってもいいが)を想像すること、しかも未だ見ていない女性のワギナを想像することというのは実に楽しい。それだけでここのところ忙しかったので、たった二日前に久し振りにオナニーをして以来、抜いていなかっただけなのに、働き盛りのいい男性である和男にとっていい女性を目の前にしてお預けを食らっていたために清涼寺に到着するまでの間、代わる代わる昨日の三人の女性の痴態を思い描き想像していると、つい歩き難いくらいに勃起してくるのだった。残暑の休日に名刹に赴く先の道すがら勃起するということも、その休日での仕事を終えた後に必ず獲得する愉悦の日々を想像すると、そんなに悪き気持ちもしない和男だった。男とは精子をいざという時のために濃く射精するためにあたら下らない射精をすることなく貯めておくことが必要なのだ。だからこそ残暑の煽りを食らった徒歩の道すがら、後日獲得する愉悦を想像しながら勃起状態のままそれ以上何もせずにやり過ごすこと自体も、まるで雲水中の修行僧のような気分になって、精神的には充足感を得ることが出来た。そうだ、ここは京都なのだ、と清涼寺に到着した時和男はそう思った。

No comments:

Post a Comment